下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(1)

ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(1)

ルース・レンデル(1930年~2015年)
クリスティーの後継者と見なされることの多かったルース・レンデルはクリスティーの持つ保守的な世界観と相入れず、その呼称を忌諱することが多かったが、「叙述の魔術師 ―私的クリスティー論―」で論じたようにクリスティーを「ホワットダニットの作家」*1と位置づけるとルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズはもっとも正統なその系譜の後継とみなすことができるのではないかと考えている。
 ルース・レンデルはウェクスフォード警部ものより、ノンシリーズといわれるクライムストーリーの評価の方が一般には高いのだが、ウェクスフォード警部シリーズにはクリスティーの得意とした過去タイプやホワットダニット系のプロットに加えて、捜査の進展に応じて、事件の様相が二転三転するコリン・デクスターのモース警部ものが得意とするタイプのホワットダニットも取り入れている。レンデルは10年ほど前にエジンバラ演劇祭などで訪れた際の印象では英国では書店に新刊が平積みされるほどの人気作家であったが、日本ではそこまでの人気はなく、翻訳もある時期以降パタリと途絶えており、絶版も多い。そういう意味でも再評価が必要だろうと考えている。




デビューはクリスティー晩年と同時代
ルース・レンデルの日本での翻訳紹介が盛んになったのは1980年代以降であり、そのため当時レンデルをコリン・デクスターなどと同様に当時の新鋭作家と見なされることもあった。だが、作家としてのデビューは意外と古い。デビュー作は『薔薇の殺意』(1964)。クリスティーで言えば「カリブ海の秘密」(1964)、「バートラム・ホテルにて」(1965)などホワットダニットの要素が強い後期の代表的作品とほぼ同時期である。世代の差こそあるが両者のキャリアには重なり合う時期もあった。影響関係がある程度あったとしてもおかしくはない。

クリスティーの後期作品
カリブ海の秘密」 1964 マープル ◎
「バートラム・ホテルにて」 1965 マープル ◎
「第三の女」 1966」ポワロ ◎
「終わりなき夜に生まれつく」 1967 
「親指のうずき」 1968 トミーとタペンス ×
ハロウィーン・パーティー」 1969 ポワロ ×
「フランクフルトの乗客」 1970
「復讐の女神」 1971 マープル ◎
「象は忘れない」 1973 ポワロ ×
「運命の裏木戸」 1973 トミーとタペンス ×

×「過去」タイプ  ◎ホワットダニットタイプ

 

ルース・レンドルのウェクスフォード・シリーズ*2

1 薔薇の殺意 From Doon With Death 1964年
1981年12月 深町眞理子 角川文庫
2 死が二人を別つまで A New Lease of Death 1969年
1987年6月 高田恵子 創元推理文庫
3 運命のチェスボード Wolf to the Slaughter 1967年
1987年4月 高田恵子 創元推理文庫
4 友は永遠(とわ)に The Best Man to Die 1969年
1988年4月 沼尻素光文社文庫
死を望まれた男
1988年9月 高田恵子 創元推理文庫
5 罪人のおののき A Guilty Thing Surprised 1970年
1988年8月 成川裕子 創元推理文庫
6 もはや死は存在しない No More Dying Then 1971年
1987年1 深町眞理子 角川文庫
7 ひとたび人を殺さば Murder Being Once Done 1972年
1980年9月 深町眞理子 角川文庫
8 偽りと死のバラッド Some Lie and Some Die 1973年
1987年9月 深町眞理子 角川文庫
9 指に傷のある女 Shake Hands Forever 1975年
1986年1月 深町眞理子 角川文庫
10 乙女の悲劇 A Sleeping Life 1979年
1983年3月 深町眞理子 角川文庫 △
11 仕組まれた死の罠 Put on by Cunning 1981年
1988年6月 深町眞理子 角川文庫
12 マンダリンの囁き The Speaker of Mandarin 1983年
1985年4月 吉野美恵子 早川書房
13 無慈悲な鴉 An Unkindness of Ravens 1985年
1987年5月 吉野美恵子 早川書房
14 惨劇のヴェール The Veiled One 1988年
1989年12月 深町眞理子 角川文庫
15 眠れる森の惨劇 Kissing the Gunner's Daughter 1992年
2000年4月 宇佐川晶子 角川文庫
16 シミソラ Simisola 1994年
2001年3月 宇佐川晶子 角川文庫
17 聖なる森 Road Rage 1997年
1999年7月 吉野美恵子 早川書房
18 悪意の傷跡 Harm Done 1999年
2002年12月吉野美恵子 早川書房
19 The Babes in the Wood 2002年
20 End in Tears 2005年
21 Not in the Flesh 2007年
22 The Monster in the Box 2009年
23 The Vault 2011年

 ルース・レンデルのレジナルド(レジ)・ウェクスフォード警部シリーズがどのような作風であるのかについて具体的な作品を対象に考察していきたい。最初に取り上げることにしたのは『乙女の悲劇』(1979)である。ウェクスフォード警部ものとしては10作目。脂の乗り切った時代のもので個人的にはこの作品は結末の切れ味の鮮やかさなどを考えるとシリーズの最高傑作のひとつと考えている。


 角川文庫のあらすじを引用してみよう。

灌木の茂みに横たわるのは、派手な装いの中年女で、厚化粧の死顔に嘲るような薄笑いを浮かべていた。被害者は20年前にこの町を出たローダ・コンフリーという女だった。だが手掛りはそこでぷつりと切れた。ロンドンの住所も、何をしているのかも、身内の者すら知らなかった。新聞に写真が出たが、知り合いと名乗り出る者もいない。考えられるのは偽名を用いていたことだ。だが何のために?ローダの隠された生活とは何だったのか?“幻の女”を相手にウェクスフォード警部の捜査は難航する……。


 レンデル作品に顕著な特徴として「被害者を巡る謎」がある。例えばこの「乙女の悲劇」は物語の冒頭近くで女性の他殺死体が発見される。その意味ではクリスティーのそれのように事件そのものの存在が分からなかったり、遠い過去に起こった事件で詳細が漠然としているというわけではない。しかし、物語が進行しても犯罪の様相ははっきりしない。  ローダ・コンフリーという名前が分かって、新聞で事件のことが報じられても、被害者を知る人がひとりも名乗り出ず、「この女がどういう人なのか」という動機や容疑者につながるような職業や交友関係などがはっきりしないのだ。
捜査線上にはやがてローダ・コンフリーと関係があったのではないかと思われる人が数は少ないながらひとりふたりと浮上はしてくる。捜査の進展にともないウェクスフォードが組み立てていく事件の様相は二転三転していく。
これと似たようなプロットは実はこの前にもあった。コリン・デクスターの『ウッドストック行最終バス』である。この作品でデクスターがデビューするのは1975年。こちらの方が4年ほど先んじている。
 「誰が犯人か」という謎を扱うそれまでの伝統的なフーダニットの本格ミステリに対して、デクスターのモース物は時には事件の実態さえ分からず、モースの推論の中で状況二転三転していくという特異なプロットを取る、と評したことが以前あったが、推理の過程がモースほど複雑怪奇ということはないものの、「乙女の悲劇」を読んでみるとレンデルも探偵役の推理によって事件の様相が一変してしまうようなことが繰り返されるという意味では共通するところが多い。

途中段階のツイスト(論理のアクロバット)ではコリン・デクスターに一日の長があるが、レンデルの幕切れの強烈な印象はクリスティーのサプライズドエンディングも彷彿とさせるもので、意外性ではこちらが上かも知れない。
 ウェクスフォード警部シリーズのもうひとつの特色は独身のポワロやモースと違って、彼が既婚者であることだ。そうした家族の描写などを通じて、その時代の時代の空気に対して開かれている。2人の娘がいるのだが、この作品では女優で自由人である次女と比べ良妻賢母に描かれてきた長女シルヴィアの自立した女性への目覚めが描かれる。
 こうした当時勃興してきたフェミニズムウーマンリブ)に関わる動きが事件と並行して描かれていくのだが、これが最終的にメインの事件ともつながって、ひとつのモチーフへと収束していく。この以上のことを具体的に話せばネタバレとなってしまうのが、悩ましいが、こうした点は社会的な問題の描写にはあまり手を染めることのなかったクリスティーとは異なり、一緒にされたくないと一線を画した大きな要因だったかもしれない。
以下(2)に続く
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