下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(2)

ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(2)


 この連載「 ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル」で最初に「乙女の悲劇」を取り上げたのはクリスティー後期のホワットダニット的な作品群やコリン・デクスターの超絶技巧と言われる独特のパズラーとこのウェクスフォード警部シリーズには強い関連があるのではないかと最初に感じたのがこの作品だったからだ。
 ただ、初読の際にはあまり気にはならなかったが、そういう前提で再読してみると同種の傾向は最初期の「薔薇の殺意」(1964、デビュー作)、「死が二人を別つまで」(1967)にもすでに見て取ることができる。

「薔薇の殺意」
ロンドンまで1時間の静かな田舎町、キングスマーカム。この町の治安を預かるのが主任警部のウェクスフォードだ。詩的な一面を持つ初老の紳士だが、時にはコワモテぶりも発揮する。
被害者は30歳の平凡な家庭の主婦。器量も平凡、顔に化粧をしたこともなく、夫と二人、つつましく、ひっそりと暮らしていた。そんな彼女の絞殺死体が牧草地の茂みで発見された。暴行めあての犯罪ではなかった。
有力な手掛かりは遺品の本にあった。余白に、彼女に寄せる想いが綿々とつづられていたのだ。このおよそ人目をひかない女に、これほどの想いを寄せる男がいたとは……捜査はまずそこからスタートしたのだが……。

「薔薇の殺意」はデビュー作だが、クリスティーの論考で「スタイルズの殺人」について述べた「デビュー作はすべてを含む」の言葉通りにここにもすでにルース・レンデルの作家性は強く刻印されている。
 物語は平凡な主婦の失踪からはじまる。その遺体が発見されるまでの描写がすでにかなり長い(40ページ強)。やがて被害者の知人からの手紙から死亡動機につながると思われる謎の人物ドゥーンの存在が浮かび上がるが、それは全編の半分近くが経過してからのことだ。
ウェクスフォードとその部下のバーデンのコンビはそうした失踪や遺体の発見を契機にじりじりと事件の真相に迫っていく。こういう筋立てはコリン・デクスターのウッドストック行最終バス」(1975)、「キドリントンから消えた娘」(1977)といった作品との類似性を感じさせる。しかし、ウェクスフォードの捜査はあくまで堅実そのものである。モースのような突飛な発想の飛躍はなく、そこが日本の本格ミステリファンに「地味な作風」と見做され、デクスターほどの人気を得ることができなかった原因があるのかもしれない。
とはいえ、そうした途中の退屈さを乗り越えて物語を最後まで読み終えてみると読後の印象はかなり大きく違ってくる。この作品はクリスティーを連想させるような技巧を導入しているとともにクリスティーだったら絶対に書きはしないような犯人像をも提示しているからだ。新人のデビュー作としては極めて完成度の高いパズラーと言っていいだろう。

「死が二人を別つまで」
徹夜の訊問明けに舞いこんだ手紙を読んで、ウェクスフォード首席警部は怒りに震えた。十六年前にヴィクターズ・ピースという名の屋敷で発生した女主人殺し。初めて担当した殺人事件ながら、彼が絶対の自信をもって解決したこの事件に、手紙の主である牧師は真っ向から疑問を投げかけたのだ! 過去の殺人をめぐる意外なドラマを鮮やかな筆致で描いた、

 一方、次の「死が二人を別つまで」のあらすじは上記のようなものだ。牧師の息子の結婚相手の父親が過去の殺人事件で有罪、死刑になっていた。判決は冤罪であり、それが晴らされないと自分たちの結婚は成就できないと娘は考える。犯人の妻である娘の母親は「あなたの父親は殺人犯ではない」と娘に向かって確言する。牧師はこれに基づき、再調査のためにウェクスフォードの元を訪れる。
 物語の冒頭の展開はクリスティー「五匹の子豚」(1942)、 「象は忘れない」(1972)とほぼ同様。典型的な「過去」タイプのプロットである。


「五匹の子豚」

16年前夫殺しで終身刑を宣告され、獄中で死亡した母の無実を訴える遺書を読んだカーラは、母が潔白であることを固く信じポアロのもとを訪れる。彼女の話に興味を覚えたポアロは、あたかも「五匹の子豚」の如き5人の関係者との会話を手がかりに過去へと遡り、ついに真実へたどり着く。
「象は忘れない」
推理作家ミセズ・オリヴァは文学者昼食会でとある女性から奇妙なことを頼まれる。その女性は、オリヴァが名付け親になったシリヤ・レイヴンズクロフトという娘の両親が十数年前に起こした心中事件の真相、「父親と母親のどちらが相手を殺したのか」を知りたいというのだ。 オリヴァから相談を受けたポアロは、レイヴンズクロフト家と関わりのあった人々を訪ねて「象のように」記憶力のよい人を捜すようアドバイスする。一方、ポアロ自身も旧友のスペンス元警視から当時の担当者として紹介されたギャロウェイ元警視に事件の調査内容を尋ね、真相の解明に乗り出す。

 上記がクリスティー「五匹の子豚」「象は忘れない」のあらすじだが、読み比べてみてもこの3作品の冒頭の導入部がほとんど相似形を見せているのが分かるだろう。
 もっとも実はこれはクリスティー作品をレンデルが模倣したというような単純なものではない。時系列で言えば発表順は「五匹の子豚」→「死が二人を別つまで」→「象は忘れない」となっているからだ。実際の両者の影響関係は実証が難しいが、少なくともクリスティーだけにとどまらずこの種のプロットが英国ミステリにおいてある程度一般的な流行となっていたということは言えそうだ。

 もっともクリスティーの作品とレンデルの作品には大きな相違もある。それはクリスティーでは事件を捜査する探偵役がいずれもポワロなのに対して、「死が二人を別つまで」では事件の発生時に捜査を担当したウェクスフォードはあくまで脇役となっている。事件の再捜査を行うのは教区牧師のヘンリー・アーチェリーと結婚を予定していたその息子チャールズ・アーチェリーなのである。
 いかにもクリスティーのことを予定調和などと批判したレンデルらしいのはこの探偵役の二人は決して単なる正義の体現者とは描かれないことだ。再捜査の動機からして、「息子を殺人者の娘と結婚させられないから、なんとか無罪だということにしたい」という牧師父子の極めて利己的な動機を隠すことなくレンデルは描き出している。その探偵手法も新聞記者の取材を装って、関係者を欺いて話を聞きだすなど詐術に近いものでお世辞にも捜査側のみに感情移入をしにくいように描かれている。これもレンデルらしいと言えるかもしれない。

 

「薔薇の殺意」

英国ミステリの巨匠ルース・レンデルのデビュー作にして、ウェクスフォード警部シリーズの第一作。

地味で真面目な家庭の主婦が失踪し、やがて他殺死体が発見される事件が発生。ウェクスフォード以下、部下の面々は足を使った捜査を繰り広げる。著者の作品は繊細ともいうべき心理描写が特徴的だが、本作品にもその萌芽を見ることができるだろう。一葉の写真から真犯人の懊悩を炙り出してみせるシーンはさすがだ。
Amazonレビューより)

「死が二人を別つまで」

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