下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(3)

ホワットダニットの系譜としてのルース・レンデル(3)

「ひとたび人を殺さば」

ロンドンの墓地で若い娘の絞殺死体が発見された。聞き込みを重ねても身許が割れず、名前も偽名だった…。二転、三転、捜査は意外な結末へ。

「ひとたび人を殺さば」(1972)も墓地での若い女性の絞殺死体の発見から始まるが、やはり警察が聞き込みを開始してみても偽名を名乗っていたと思われる被害者の身許がはっきりとはしない。
 その正体について推理を基にウェクスフォードは仮説を立てるがそのたびに眼前に現れる「こんなことが起こったのではないか」との構図が二転三転していくというのが特徴だ。
そういう意味では「乙女の悲劇」の先駆ともいえるが、「ひとたび~」のもうひとつの特色は持病の高血圧の療養で休暇の取得を勧められたウェクスフィードがホームグラウンドのキングスマーカムを離れて、ロンドン警察の捜査官である甥の元に滞在中に遭遇する事件であるということだ。それゆえ、いつものように警察の部下らを使うことは出来ずに外部の協力者として事件の解明に取り組むことになるという私立探偵小説のような捜査が描かれていく。
 英国ミステリでは後に現れるイアン・ランキンリーバス警部ものが明確にアメリカ私立探偵小説の影響を受けているが、ルース・レンデルにはそうした影響関係を見て取ることは難しいかもしれない。しかし、ホワットダニット系ミステリのもうひとつの系譜にはレイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドなどのハードボイルド小説の流れがあるとも考えている。偶然の要素は強いかもしれないがこの「ひとたび人を殺さば」にはロンドン都市部の貧困地区を主要な事件関係者の捜査現場にしていることなどから、どちらかというと英国の地方都市の警察の活動を主に描いているいつもの上クスフィードシリーズとは異なり、また犯罪に対する組織的捜査ではなく、本人が足を運んでの地道な捜査の積み重ねから見えてくる風景が描かれていることから、ロス・マクドナルド「さむけ」で描かれるロサンゼルスを思わせるようなところがあるのだ。
 一方でプロット自体はやはりデクスターと共通するところも多い。確信を持って真相に迫ったと思っていた推理が途中で見事にひっくり返されるところなども後の「乙女の悲劇」やデクスターの初期作品との類似点が多いのではないかと思った。

「運命のチェスボード」

アンという女が殺された。犯人はジェフ・スミスだ―そんな匿名の手紙がキングズマーカム署に届いた。ウェクスフォード警部は調査を開始したが、死体さえ発見されない状況に困惑せざるを得ない。本当に殺人はあったのか?混迷する捜査陣の前に、やがて事件は意外な真相を明らかにする

この作品も気鋭の美術作家であるルーパート・マーゴリスの妹である若い女性、アニタの失踪事件から始まる。しかし、捜査は遅々として進まず、肝心の死体さえなかなか発見することができない。事件の真相は曖昧模糊としたままで物語は進んでいく。
冒頭近くでアン(アニタ・マーゴリス)という若い女性の失踪事件がウェクスフォード警部の元に伝えられ、それと並行して「アンという女が殺された。犯人はジェフ・スミスだ」という差出人不明の手紙が捜査陣に届くことから、一連の捜査が開始される。
 しかし、失踪前のアンの周辺から関係のありそうな男たちを探ってみても、謎の男ジェフ・スミスとは誰なのか、手紙を書いたのはだれなのかなど事件の解明は遅々として進まない。
 そして、事件の様相が捜査の過程で二転三転していくというのがこの作品の場合も起こってくる。これも典型的なルース・レンデル版のホワットダニットの系譜のプロットを持つ作品だと言っていいだろう。
 「運命のチェスボード」が新機軸というほどではないにしても趣向として面白いのは作品の冒頭から何か事件に巻き込まれたか、引き起こしたらしい「男と女」の描写から始まることだ。
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「もはや死は存在しない」

“聖ルカの小さな夏”と呼ばれる小春日和の一日が終ろうとする頃、少年行方不明の報がキングズマーカム署に届いた。最近ロンドンから移ってきた母子家庭の10歳になる少年である。捜索隊が組織されたが、見つからないまま、その日は暮れた。ウェクスフォードもバーデン刑事も、8ヵ月前から行方不明のままの、もう一人の少女のことを思い出した。はたして二つの事件は関連があるのか?やがて少年のものらしい切りとった金髪の束が送られてきたが…。

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「友は永遠に」

結婚式当日の朝、花婿の親友で付添人を務めるはずのチャーリーが死体で発見された。長距離トラック運転手にしてはなぜか金回りがよく、鼻つまみ者だったチャーリー。だが、花婿のジャックにとっては、唯一無二の友だった。一方、病院では6週間前の交通事故で入院中のファンショー夫人がようやく昏睡状態を脱した。夫人が口を開くと、2つの事件は意外な方向へ展開して…。

「友は永遠に」(1969)は変化球の多いレンデル作品としては珍しくオーソドックスな警察小説といっていいだろう。 組織としての警察を描く警察小説では同時多発的に起こる複数の事件の捜査にまい進する警察の姿が描かれることが多いが、英国ミステリにおお警察の捜査官を主人公にした本格ミステリでは少数の捜査官(警部と部長刑事のコンビなど)が事件の解決に当たることが多い。
 ウェクスフォード警部シリーズではウェクスフォードが主任警部で相棒格に当たるバーデンがこの時点では警部の職位にいるためにそれぞれが別々の事件の捜査に当たっている。「友よ永遠に」ではウェクスフォードは偶然犬を散歩させている途中で死体を自ら発見したこともあり、長距離トラック運転手チャーリーの殺人を捜査。
バーデンは交通事故で昏睡状態だったファンショー夫人の案件を担当することになったが、事故現場で一緒に見つかりファンショー夫人の娘と思われていた若い女性の遺体が外国にいた娘が生きていて名乗り出たことから殺人事件ではないかとの疑いが起こり、同時に二つの事件を抱え込むことになる。
 この二つの事件は相次いで起こったことを除けば何も関係がないように見えたし、事件の様相もまったく異なる。ただ、この作品の面白さは一見自明と見えていた交通事故の様相が未知の被害者が現れることでレンデル得意の「被害者の謎」に変貌することで、それはそこであらためて我々の眼前に何が起こったのかというホワットダニット的な興味が改めて浮かび上がることになるのだ。
 その過程で主任警部はバーデンから仮説とそれがはらむ謎を次々と披露してバーデンから「それは主任の推理でしょう」とたしなめられるのだが、こうした一連の論理の試行錯誤こそが6年後に『ウッドストック行最終バス』でデビューするコリン・デクスターの先駆ということができるのかもしれない。 

「罪人のおののき」

傍目に安逸をめさぼっているかに見えたマイフリート館。だが優しかった当主夫人は、ある夜、不可解な深夜の散歩に出た挙句、森の奥で殴殺されてしまう。誰が?何のために?捜査の進展とともに、館はしだいにその真の貌をあらわにしていく。そして人々の入り組んだ心理の綾の中にウェクスフォードが見いだした、ある衝撃的な事実とは…?




ルース・レンドルのウェクスフォード・シリーズ(初期作品)

1 薔薇の殺意 From Doon With Death 1964年
1981年12月 深町眞理子 角川文庫
2 死が二人を別つまで A New Lease of Death 1969年
1987年6月 高田恵子 創元推理文庫
3 運命のチェスボード Wolf to the Slaughter1967年
1987年4月 高田恵子 創元推理文庫
4 友は永遠(とわ)に The Best Man to Die 1969年
1988年4月 沼尻素光文社文庫
死を望まれた男
1988年9月 高田恵子 創元推理文庫
5 罪人のおののき A Guilty Thing Surprised 1970年
1988年8月 成川裕子 創元推理文庫
6 もはや死は存在しない No More Dying Then 1971年
1987年1 深町眞理子 角川文庫
7 ひとたび人を殺さば Murder Being Once Done 1972年
1980年9月 深町眞理子 角川文庫

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