ルース・レンデル「聖なる森」@早川書房
風光明媚な英国の田舎町キングズマーカムでは、ロンドンへの交通の便を良くするため、かねてからの懸案だったバイパス道路建設計画が、急ピッチで進められていた。しかし自然を愛する地元住民や環境保護団体が、反対運動を繰り広げて工事を妨害したため、町は騒然としていた。そんなある日、誘拐事件が起きた!誘拐されたなかにはウェクスフォードの妻ドーラも含まれており、彼は苦悩のどん底に叩き落とされる。後日、「セイクリッド・グローブ」なる団体から、誘拐した人質を引きわたす条件として、建設計画の白紙撤回を求めてきたのだが…。
ルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズがホワットダニット型のプロットのミステリの実作者としてアガサ・クリスティーとコリン・デクスターの間をつなぐ役割を果たしていたのではないかとの仮説を基にシリーズ作品を続けて再読することをしてきた。それはかなりの程度において妥当であると、再読の課程で確信を持ったのだが、そういうことはより近作である「聖なる森」などになるともうそれほど重要なことではなくなってきたように思われた。
実は米国における私立探偵小説にせよ、英国の現代ミステリにせよ実際にそれぞれの国やその登場人物が活動する地域に付随する現代の社会的な問題を描き出すことにかなりの力が割かれている。英国の場合を見てみてもスコットランドのエジンバラを舞台としているランキンのリーバス警部シリーズでは移民の問題や貧富の差の問題、スコットランド独立をめぐるあれやこれやの政治的な動きなどが事件の背景として重要な役割を果たしていたりするし、ルース・レンデルの作品でもこの「聖なる森」では森を貫通する道路建設にともなう自然破壊に反対する環境保護運動家の動きやテロリズムの勃興などの昨今の状況を前提として作品は描かれている。
こういう視点はクリスティーは得意ではなかったことは作品内での左翼系の運動家の描き方などを見てみればあからさまに分かることだが、初期の作品でのフェミニスト(女権論者)や性的マイノリティーなどの描き方などを見る限り、レンデルはこうした政治的な問題への関心が高いことは間違いないだろう。
レンデルのウェクスフォード警部シリーズのもうひとつの特色はウェクスフォードやバーデンといった捜査陣だけでなく、その妻や娘らなど彼らの家族たちも物語の要となる役割を振り当てられていることで、旧態依然の考えを代表するようなバーデンやそこまでいかなくても立場上保守的な立場に立ちがちなウェクスフォードに対比されるような考えを持つように描かれているのが、バーデンの二度目の妻で教師を務めるジェニーやウェクスフォードの次女のシーラ。この作品でも次女のシーラに冒頭未婚のまま母親になったことを告げられるが、そのことに特別な反感もなく、すんなりと受け入れているところにも初期の作品との世相の違いを感じる。
さらにいえばこの作品では「セイクリッド・グローブ(聖なる森)」と名乗る環境保護団体が不特定多数の人間を誘拐し、人質を引きわたす条件として、建設計画の白紙撤回を求めてくるのだが、その人質のひとりとしてウェクスフォードの妻のドーラが捕らわれてしまい、捜査陣の要として陣頭指揮を担う役割を果たすはずのウェクスフォード自身が苦境に陥るというところから始まるのだ。
こういう展開では捜査上の方針と妻の安否への心労とに引き裂かれて、思い悩む警部の個人的心情がもう少し前面に出てきてもおかしくないのだけれど、ルース・レンデルはそういう意味での苦悩には興味があまりないのか、ドーラは5人の人質のうちの最初のひとりとして、あっさりと釈放されてしまう。さらに言えば身内が事件に巻き込まれたが、ひとりだけ釈放され、残りの人間は釈放されず事件の捜査は遅々として進まないという状況であれば、捜査の総指揮という立場を利用して、ウェクスフォードが犯人グループと隠れて個人的な交渉を行い釈放させたのではないかとの疑いを他の人質の家族やマスコミが喧伝して、そのためにウェクスフォードが窮地に陥るという展開もおおいにありうるのだけれど、レンデルはそういうことも描かないで、捜査陣による捜査を淡々と描き出していく。
誘拐事件という派手な展開にもなりうる題材を地道なそして着実な捜査の過程を描いていくことで突き詰めていく。最後に解決される真相にはレンデルらしいひねりがあるともいえようが、これを含めてもそこに至るまでのタッチもレンデルらしい作品といえそうだ。
- 作者:ルース レンデル
- 発売日: 1999/07/01
- メディア: 新書