下北沢通信

中西理の下北沢通信

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連載)平成の舞台芸術回想録第二部(3) 大人計画「ファンキー!」

平成の舞台芸術回想録第二部(3) 大人計画「ファンキー!」

 この連載では90年代を代表する作家として、平田オリザのことをたびたび取り上げてきたが、実は小劇場といわれていた現代演劇界隈で目立っていた存在は松尾スズキ大人計画)とケラリーノ・サンドロヴィッチナイロン100℃)であったかもしれない。
 特に96年はまさに「松尾スズキの年」と言ってもいいほどの充実ぶりで、岸田國士戯曲賞を受賞した「ファンキー! 宇宙は見える所までしかない」*1とトム・プロジェクトに書き下ろした「マシーン日記」の2大傑作はいずれもこの同じ年に上演された。
 実は当時私は仲間と共に演劇情報サイト「えんげきのぺーじ」*2にかかわり、ここにお薦め芝居というコンテンツを提供していた。そのメンバーが毎年年末に集まり決定していたのが「えんぺ大賞(インターネット演劇大賞)」だった。
 96年はえんぺ大賞の最初の年で、この時確か下北沢の飲み屋で明け方近くまで喧々諤々の議論の末に第1回えんぺ大賞に松尾スズキ作演出「マシーン日記」を決めたのだが、この時に最後まで争ったのが「ファンキー!」(私はこちらを推した)で、何と松尾スズキの作品のどちらを受賞作品とするかで、5時間以上にも及ぶ議論を重ねたのだった。議論は互いに譲らず膠着状態になって延々と続いたのだが、思えば皆この時は若かったものだ。
 体力に余裕がないと徹夜の議論はできない。脳裏には「どちらにしたって松尾スズキの作品だからどちらでもいいじゃないか」という思いがある反面、ここまで議論が長引くと、かえって引くに引けなくなる。両作品受賞というのも何度もよぎったが、第一回からそれではあまりにも安易との思いもあった。結局、明け方が近づいたころ、根負けした記憶が残っている。この時の悔しい思いは年明けに「ファンキー!」が岸田戯曲賞を受賞したことでやや留飲を下げた。こんなことはこんなに長々と書くことでもないのだけれど、回想録でもあるし「えんげきのぺーじ」はJamciに書いていたコラム「下北沢通信」と同様に私の演劇批評活動の原点であったので当時の思いを綴ってみた。
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 「ファンキー!」の内容については演劇情報誌Jamciの1996年10月号に掲載したコラムで紹介することにする。

大人計画の「ファンキー!」は色々なことを考えさせてくれる刺激的な舞台であった。
 情報誌へのインタビューなどで、松尾スズキは「芝居のテーマは身体障碍者の性の権利」などと語っていたが、この作品を全体として見た場合には身体障碍者の問題は全体の中に包括されているエピソードのひとつにすぎない。
 ではこの芝居は何を描いているのか。この芝居が正面から描くのは欲望を持つ人間というものの悲劇ではないか。ただ、その悲劇性は現代の日本では説得性を持ちえず挫折している。
 一見、わき役的存在でありながら、この物語を体現しているのは井口昇演じるコンノである。彼の目標は女の子にもてて「やれること」だ。しかし、醜さゆえに相手をしてくれる女もなく、セックスができないままに最後には狂おしいまでの情けなさを見せて、死んでいく。これは構造としては悲劇なのだが、観客にとっては喜劇でしかない。
 身体障碍者のエリカとミヤゴシの親子もそうである。二人は近親相関の関係にある。身体障碍者の娘の性衝動のはけぐちに自らがなったわけで、このことには倫理的な問題は別にしても、ある種美談的要素があることなのだが、実際に起こったことはそれほど単純ではない。ミヤゴシは妻が昔、オシキリと不倫をしており、エリカはその時に出来た不義の子であると思っている。妻の自殺もそれが原因と疑っており、それにも関わらずオシキリに復讐ができない代償行為として動物の虐殺などの行為を犯し、神の罰を受けるのを待っている。
(中略)
 古くはシェイクスピアからチェホフ、テネシー・ウィリアムズまで劇作家は欲望が裏切られるときの人間の悲劇を脈々と描いてきた。その意味では松尾の描く世界は変わって見えようとこうした作家につらなる正統的なものだ。
 松尾の描く世界はナンセンスコメディーと評されることがあるが、むしろ悲劇が成立しなくなった現代の日本で、成り立つために作り上げた喜劇的な新たな悲劇のありかただと解釈すべきかもしれない。

 大人計画は当時はそれほど一般にも知名度の高い劇団とはいえなかったが、もうひとりの人気作家、宮藤官九郎の登場などと相俟って、大衆的な人気を獲得していく。
 しかし、私は今でもその前の「愛の罰」(1994、1997再演)と「ファンキー!」、そして続く「Heavens' Sign」(1998)の三本が個人的には一番刺激的な作品で劇団のクリエイティビティーが頂点だった時期だと考えている。
 そして、当時のぎりぎりの表現を支えていたのが山本密と新井亜樹の特異な存在感であったと思う。大人計画にはうまい役者が多いし、それゆえ阿倍サダヲらメディアの世界でも活躍している人が多いのだが、上記の二人はまさに松尾スズキの生み出す狂気の世界を体現できる人たちだった。メジャーになっていく大人計画が喪失していったものを象徴するような存在と感じられたのだ。この「ファンキー!」でも新井は身体障碍者のエリカを迫真の演技で演じるが、それは20年以上がたった現在でも忘れがたいものであった。

大人計画『愛の罰~生まれつきならしかたがない』
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