下北沢通信

中西理の下北沢通信

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佐々木敦「小さな演劇の大きさについて」

佐々木敦「小さな演劇の大きさについて」

佐々木敦の演劇論集「小さな演劇の大きさについて」を読んだ。演劇論集とは書いたが、演劇についてのまとまった論考というよりはこれまでさまざまな媒体に書いた演劇に関する文章をまとめて一冊にしたものだということが、巻末の初出一覧*1を見ると分かる。それでも著者の演劇についての考え方をまとめて読むことができるチャンスというのはこれまで限られていたので、こうして単行本が出ることの意義は決して小さくないだろう。
 佐々木が演劇を見る際の平田オリザ*2岡田利規*3を日本の現代演劇の原点とする視点*4には以前から共感するところが大きかった*5。アカデミズム畑の人が主流となってきた従来の日本の演劇評論家らの演劇観に違和感を感じてきたことが多かったこともあり、演劇についてはアウトサイダーではあるけれど、それだけに彼がどのように作品を見たのかということが自分の観方との違いも含めて意識せざるをえない人物であった。
 後半部では多くの知名度はまだそれほど高いわけではない若手の作家ら*6も取り上げられはするが、本書で主として取り上げられるのはまず岡田利規。次に松田正隆*7、そしてケラリーノ・サンドロヴィッチ*8、松井周*9飴屋法水*10である。平田オリザも少しだけ取り上げられてはいるが、こちらは以前「即興の解体/懐胎」*11で岡田との比較も含めてかなり詳しく踏み込んだ論考を書いていることもあってかロボット演劇のことが少し触れられるにとどまっている。
 一連の論考の中で特に興味深いのは早稲田演劇博物館の展示「現代日本演劇のダイナミズム」の図録向けに書き下ろした松田正隆とマレビトの会論「<演劇の>零度のエクリチュール」ほかの松田正隆についての文章である。
 佐々木はこの中でF/Tのホームページ上に掲載された平田オリザ松田正隆の対談を引用しながら「平田が、虚構の空間である筈の『舞台』をその外部に広がる『現実』へと滲出させ、両者を通底させていこうとしているのだとしたら、松田は『現実』の内に穿たれる『舞台』の虚構性それ自体を、あらためて問い直し、立ち上げ直そうとしている」と両者の立場の違いを分析する。
 そして、マレビトの会における方法論を松田自身は「出来事の演劇」と呼称しているのだがマレビトの会ホームページにおいて「演劇の上演が、現実の出来事の模倣にとどまることなく、新たな意味の生成となること。これを私たちは『出来事の演劇』と呼ぶ」としている。
 ここで松田が言わんとしていることの意味は汲み取りにくくて、実は私には読んでも理解しがたいところもあったのだが、佐々木は「問題は、そこで本当は何が起こっているのか、ということである。BがAを演じるのを真に受けるのは一種の約束事の共有、つまり契約である。この『契約』とは、いったい何なのか。われわれはそのとき、何をしているのか。これが松田が先に述べていた『宣誓』であり、『意味の生成』である」とした後さらに簡潔に「それは究極的には、たとえばBが『私はAです』と口に出して言うこと、ただそれだけによって可能たらしめられているのだ」と説明している。
 私自身、マレビトの会による松田正隆の試みがいかなるものであるのかは現代演劇において最大の謎(エニグマ)のひとつで、平田オリザの現代口語演劇理論*12を基本として、チェルフィッチュ岡田利規とマレビトの会の松田正隆がいかなる批判的継承を行い、いかなるトライアングルを描いているのかを読み解くことがここ30年ほどの現代演劇史を読み解く鍵になるのではないかと考えている。
 松田は立教大学に赴任してすぐ現在の方法論につながる手法に取り組み始めた際に群像会話劇の新たなスタイルへの挑戦の意欲を私に語ってくれたことがある。
 松田正隆が90年代に平田オリザと並ぶ現代口語演劇の代表作家であったことは本書のなかでも語られているが、その後、平田流の現代口語演劇を飽き足らず思い、新たに旗揚げしたマレビトの会は非会話劇的なテキストへと舵を切っていく。それがここで再び群像会話劇へと回帰することになったわけだが、それに平田とはまったく異なるアプローチで会話劇に取り組む構想だった。
 マレビトの会がF/Tで3年間上演した「福島を演劇する」はそうした試みのひとつの到達点として提示されたものといえよう。松田の言葉の用法には晦渋なところがあり、簡単には意味が汲み取りにくいところもあるが、マレビトの会はポストゼロ年代演劇の若手作家らにも平田オリザと対峙するひとつの礎として影響を与えている部分もある。こうした流れを汲み取るためにもさらに様々なことを考えなければならないと考えさせられた。
 とはいえ、佐々木は演劇評論を専門でする人ではないため、この著書でも「私は大人計画を一度も観たことがない」などと自ら書き記しているように演劇全体を俯瞰してみた時には大きく欠落しているところがあるのも確かだ。
 だが、そんなことを言い出せば高名な演劇評論家のほとんどが本当に見るべき作品を見ていないか、見てもその本質をとらえそこなっているのではないかと思うことの方が枚挙にいとまがないから、そういういうことを書いてしまえるアウトサイダーとしての強みと専門の演劇評論家ではないからこそ自分が本当に興味があるものしかみないという一種のいさぎよさは羨ましくなる部分もある。
 ただ、この本にはやはりこのために書き下ろされた演劇のための論考ではない弱みもあるにはある。ひとつが「小さな演劇」というキー概念の曖昧さだ。本人も一種の「テン年代の日本の(小)劇場論」としても読まれることも可能だろう、と「あとがき」に書かれているようにここでの「小さな演劇」はここ数十年、少なくとも平田オリザ岡田利規以降の日本演劇のうち、歴史的に存在する大文字の「演劇」と対比されるような性質を持ったものを総体的に名付けているものと思われるが、そこになぜケラリーノ・サンドロヴィッチは入って松尾スズキは入らないのかというようなことがそれほど論理的に説明されることはない。
 とはいえ、佐々木がここで書いている内容自体は演劇評論を書いている自分も日ごろからも感じてきていたことも多い。
 それでも「小さな演劇」の呼称に問題はあるのではないか。おそらく単行本のための書き下ろしだろうと思われるプロローグ部分に当たる「小さな演劇の小ささについて」で、佐々木は「『小さな演劇』とは、第一義的には『小劇場演劇』を意味している」とまずはしておきながら、「それは規模ではない」といわゆる『小劇場すごろく』というような劇場規模におけるサクセス・ストーリーを否定する。
 そうしたうえでもうひとつの理由として、「脱・劇場」などの形式としての小ささをむしろ積極的な価値と評価するような演劇への構えの変貌を指摘する。これは説得力のある考え方であると思う。
 ただ、続けて「もうひとつの『小ささ』として指摘する「日常性や個人性に材を取った作品」という特徴についてはかならずしも賛同しかねる部分もある。例えば筆者は「小さなものを通して大きいものを描く」というスタンスを「小さな演劇」の特質だとしているが、そういうことを言い出したら部分を描くことで全体性を示すことは演劇全体の本質ともいえる。これだと維新派だろうとSPACだろうとすべて「小さな演劇」だということになってしまいはしないか。
 ポストゼロ年代以降に「小さな演劇」のミニマリスム的な傾向は確かにあるとは思う。それは例えばチェルフィッチュ以降の役と演じるものの分離とか、リアリズムという形式の否定とか、そういうところに帰結する(佐々木のタームだと「身体ー挙動」と「言葉ー台詞」の乖離ということになるのだろうか)のではないか。そうだとすると「小さな演劇」という呼称はやはりそれほど適当なものとはいいがたいという気がする。
 佐々木が若い批評家らに影響力が非常に強いということを鑑みても「小さな演劇」という言葉が恣意的に引用され多用されることになる場合、かつて「静かな演劇」「コドモ身体」「新本格ミステリ」などの言葉がある一定の時期に引き起こした誤読的な弊害がまた引き起こされるのではないかという老婆心があるのである(これは単にそういう影響を持ちえない人間のルサンチマンにすぎないなのかもしれないが)。

*1:演劇誌「悲劇喜劇」寄稿のものが目立つが、全体としては「新潮」「すばる」などの文芸誌、「美術手帖」「ユリイカ」など掲載媒体は多岐にわたっている。

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com

*4:分かりやすくいうとそこに切断点があるという見方だ

*5:特にこのコロナ自粛期間中にここ30年間の現代演劇の代表的な作品を回顧する「平成の舞台芸術回想録」という連載を継続的にこのブログに執筆していたので、問題意識として重なり合う部分が多いことは感じた。

*6:バストリオ、ブルーノ・プロデュース、シンクロ少女、ナカゴー、あひるなんちゃら、小嶋一郎、東葛スポーツ、新聞家、三野新……など。いまでは無名とは言い難いが、木ノ下歌舞伎、松原俊太郎、岡崎芸術座なども若手として紹介されているものも含まれる。

*7:simokitazawa.hatenablog.com

*8:simokitazawa.hatenablog.com

*9:simokitazawa.hatenablog.com

*10:simokitazawa.hatenablog.com

*11:

*12:simokitazawa.hatenablog.com