DULL-COLORED POP 福島三部作 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』@配信
谷賢一の「福島三部作」をいずれも配信で観劇。これが震災・原発事故から10年後の今年、TPAMで上演されたことには大きな意味があった。福島三部作は全体で上演時間6時間の大作。原発事故を起こした福島第一原子力発電所が最初に双葉町に誘致されることになった1961年のことから震災の起こる2011年までの50年の歴史を振りかえっている。
今回三部作を続けて見てみて改めて気が付いたのはこれだけ長尺で福島第一原発の歴史を描いたのにも関わらず震災ならびに原発事故そのもののことは直接はいっさい書かれていないのだなということだった。
世の中にはリアリティーを持って表現することが困難なことがあって、谷は少なくとも現時点では原発事故や東日本大震災そのものはそうした存在だと考えているかもしれないと思った。多くの劇作家が理解しないのは安易にそれを取り上げて直接そのことを描こうとしても、思い入れ強くそれを行えば行うほど絵空事になってしまうからだ。
そういう時に私たちにできるのはそれを直接描くのではなく、その周辺をきめ細かく描き出すことで、それを陰画のようにあぶりだすことだけかもしれない。特に震災後の福島の現実を報道現場の実情を描き出すことで示そうとした福島三部作 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』にはそのことを色濃く示された作品だったといえるだろう。
福島三部作 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』で描かれるのは福島の地元放送局である。穂積家の3男、真は報道局長として特番製作を指揮している。震災に対する被害者感情はその人ごとの体験により大きく異なり、互いの間には感情の軋轢が引き起こされて県内には大きな混乱が生じていた。自分の被害感情をそのままむき出しで伝えることが果たしてマスコミの本当の役割なのか? ならば今、伝えるべき真実とは一体何か? 東京のテレビ局が期待する「フクシマ」像に迎合して視聴率をあげるのがテレビマンとしての正義なのか。第三部では震災後の福島で引き起こされたさまざまな分断を綿密な取材をもとに描きだされる。
とはいえ、人々が声高に各々の主張を叫んでいるなかで、震災の後、ひとこともものを言わず沈黙しつづるのが、第二部の主人公で原発事故の「戦犯」ともいえる元町長の穂積忠。さまざまな思いを語り続ける被災者の人々と対比され、弟の真も彼が入院している病院(老人介護施設かもしれない)に見舞いを兼ねて何度も訪問するが、結局事故のことについては何も言葉を発さないまま死んでいく。
作・演出:谷賢一[DULL-COLORED POP]
美術:土岐研一 照明:松本大介 音響:佐藤こうじ[Sugar Sound]
衣裳:友好まり子 映像:松渾延拓 舞台監督:竹井祐樹[StageDoctor Co.Ltd]
演出助手:美波利奈 制作:小野塚央
国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2021出演:大原研二、佐藤千夏、ホリュウキ、宮地洸成[マチルダアパルトマン]
[以上DULL-COLORED POP]、有田あん[劇団鹿殺し]、井上裕朗、オレノグラフィティ、
柴田美波[文学座]、都築香弥子、春名風花、平吹敦史、山本亘、
ワタナペケイスケ[アマヤドリ]
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