下北沢通信

中西理の下北沢通信

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音楽に寄り添う勅使川原のダンス 曲順反転のトリック KARASアップデイトダンスNo.91「子供の情景」@荻窪アパラタス

KARASアップデイトダンスNo.91「子供の情景」@荻窪アパラタス

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勅使川原三郎の最近の作品は物語のある原作に基づく、演劇的な要素の強い作品と音楽作品と対峙したアブストラクト(抽象性の高い)な作品の2つの系譜に分かれているが、今回の子供の情景はもちろん後者に当たるもので、シューマンの同名ピアノ曲集「子供の情景」と「クライスレリアーナ」の音楽を使用した。
 このダンス作品では見ているうちに何度も無限の迷路あるいはループに入り込んんだような感覚に襲われた。それというのも気が付くと同じ曲想が繰り返して登場しているためで、最初は見ていてついうとうとして瞬間があったせいで、気のせいかなと思ったのだが、実はこのダンス作品にはある仕掛けが仕掛けれていて、そのせいでそんな風な効果が生まれていたというのが終演後の勅使川原の挨拶で行われた種明かしで分かった。
 もともと、上演時間約1時間に対し、「子供の情景」は普通に演奏されたものであれば18分程度ということで、シューマンのほかの作品からも何曲かは作品に使用するということを以前の作品後の挨拶で予告していたが、今回は「子供の情景」の楽曲13曲(上記のチラシに曲名が表示されている)を順番に使用してから、真ん中に「クライスレリアーナ」を挟み込んで今度は「子供の情景」13曲を先ほどとは反対の順番で13曲目から1曲目に向かっていくようになっているのであった。その構造は作品観劇中には気が付いていなかったため、何度か同じ曲が出てきているんじゃないかというのに薄々は気が付いていたが、同じ曲でも同じ演出、振付で踊られるわけではないからはっきりとはせず、構造を自体には気が付いてなくても有名な「トロイメライ」のメロディーが二度目に流れた時に同じ曲がまた流れているということに初めてはっきりと気が付いたのだ。
とはいえ、同じ曲のところが同じ振付というわけではなく、振りが変わっているのに加えて、この作品では前半と後半では照明の使い方など空間の構成が異なっていて、そうした違いによって場面場面の空気感には違いが生まれるような工夫がされている。
 最後の曲が冒頭の曲と同じであるということは公演中にもすでに気が付いていて、「ここではじまり、ここで終わる」という様式美ははっきりと感じ取ることができた。音楽と対峙した作品と書いたが、音楽とダンスの関係性の違いが同じ曲でもあって、これは曲の並び方のルールを知ってから見た方がいろんな意味でより深く楽しめる作品だったかもしれない。

 

勅使川原三郎と佐東利穂子がいま取り組んでいるのは、カラス アパラタスの次回公演『子供の情景』。作曲家シューマンのこと、またそれぞれの子供時代のこと、作品の構想など、さまざまに語り合う二人の対話をお届けします。

──シューマンの「子供の情景」には、どのようなことを感じられていますか。

勅使川原三郎 演奏家にもよりますが、一つひとつ曲を聴いていけば、「子供」の情景というよりも、大人である自分が子供として見るもの、想像したものではないかと思います。あの音楽はどうも子供という感じがしません。子供があの曲調のようにものを考えるとは思えないのです。

佐東利穂子 「子供の情景」とは、Scenes from Childhood。それはまさに大人が言っていることですよね。

勅使川原 子供の頃のこと、という意味でしょう。「子供の情景」は、子供の時の記憶の描写ではなく、大人になった自分が、曲の中に入ってしまったという感じがする。子供の頃を遠くに見る大人の顔をした子供の心が、大小の驚きを丁寧に再現しているようです。でも、単に子供の時の記憶ということではなく、自分がその中に入ってしまった、という感じがある。
全13曲合わせて18分くらいですから、その間にシューマンの別の曲を挟んで、1時間程度の作品にしようと思っています。その面白さは、堂々巡りというか、メリーゴーラウンドのようなもので、ただ、全曲を並べるというのともちょっと違う。まさに「情景」が絡み合って、どんなことが関係していくのかな、と見ていく見方もあるだろうし、その曲から喚起されることを、あるいは別の音楽でやってもいいかもしれない。

──「子供心を描いた、大人のための作品」というシューマンの言葉もあります。

勅使川原 「子供の」というわりに難しく、大人っぽく感じられる音楽です。子供はあんなにゆっくり動かないものでしょう。もっとチャカチャカして、あるいはぼーっとしている。佐東さんは子供の頃はイギリスで過ごして、森の切り株に座っていたと言っていましたが──。

佐東 リスや小鳥がやってきて、お話をしていました。

勅使川原 いまの都会の子供たちとはちょっと違いますよね。時間が長く感じられる。シューマンの頃も、いまの子供たちのようにゲームをしてせわしなく過ごすのとは違って、ゆったりと時間が流れていた。というか、時間とも言えないような「区切りのないところ」にいたのでしょう。「子供の情景」のダンスを創る時には、そういった世界観、時間の感覚が必要だなと思います。
シューマンという作曲家の特徴は、優しくおっとりとしたところにあるように思います。育ちの良さを、肖像画を見ても感じる。「森の情景」や「クライスレリアーナ」という作品もありますが、シューマンのそのおっとりとした、ゆったりとした感じは、人間の葛藤とか哲学的に思考したとかではなく、世界をゆったりと感じる、そういう人だったんじゃないかなと想像させる。我々も、そういうものの捉え方が必要なんじゃないかなと思うのです。

佐東 勅使川原さんは、題材にする音楽、音楽家、芸術家が、どういう人だったかということに興味を持たれます。

勅使川原 どうしてそういう音楽ができるのか、成り立つのかということに近づいていかないと、どうしようもない。でもそれは、想像の世界だからできることであって、昔の人、いまは既にいない人を題材とするからこそ、想像力をより働かせやすいし、面白いなと思う。だから、そういう作品を創るのかもしれない。作曲家にはいろいろな傾向があるから、それを自分の中で探っていくということでもある。
例えば、小箱を覗くような世界観がある。何が入っているのかわからない箱、子供がそれを開けてみると、いろんな色の紙切れが入っている。ピンクや薄緑、名付けようもない色、黄色い紙切れの隅が三角に折られていたりする、意味はわからないのだが、見ていて飽きることはない。
シューマン作曲の「子供の情景」という箱には、様々な情景が現れては消え、次から次へと物や遊び、人々が現れる。これは「見知らぬ国」、これは「鬼ごっこ」だなと想像したのかもしれない。勝手な思いこみは、無限にあります。そのうちの13を選んで並べて、組曲子供の情景」に仕立てた。大人の顔した子供の、子供の顔した「大人の情景」です。

佐東 そんなこと子供はとくに何も感じていないんじゃないかと思うようなことでも、後になって、大人になってから、そのことは「実はこうだった」と言葉を与えると生き生きとしてくるようなことはいっぱいあると思います。実はあの時、そんなことを感じていた、と言えなかったことが、いまだから生き生きとしてくる、という感覚がある。もうちょっと細かく、そのことに対する自分の気持ちの微妙なところまで言葉にすると、それは決して、ただの思い出話ではない、あるいは記憶だけではないことなのかなと思います。子供の頃の記憶というより、そういう「生きたもの」という感じです。

勅使川原 「生きたもの」だし、子供の時のことがいま、動き始めるというか、あまりよく覚えていないことを大事に大事にしていると、それだけを拡大して近づくことができる。やっぱりこうだったなということが見える。そこには想像力も働く。

佐東 記憶ではないんですよね。記憶って薄れていくものだから。

勅使川原 子供の頃、ぼくはよく空を見ていたのだけれど、その時見ていたものをいま、拡大して見ている。子供の時はこんなに小さいものだったものが、いま拡大して、ああいうところを見ていたんだなと思うことはありますね。それは必ずしも嘘ではないだろうし、そこを区別しないところに芸術家は興味を持つのではないかと思います。

──ところで、先の『オフィーリア』公演中には、ベネチアビエンナーレダンツァ金獅子賞受賞という大きなニュースがもたらされました。

勅使川原 皆さんと分かち合いたい。それがいちばんでした。自分だけ賞をいただくのは違うと思ったのです。長年やってきたことは、自分一人でやってきたことではないのだから。

佐東 ライフ・タイム・アチーヴメントという賞ですから、パブリックなもので、多くの人たちが自分もそこにいる、という感覚を持ってくれたのではないかと思います。たくさんの方々が喜んでくださったのが印象的でしたね。

勅使川原 それがいちばん嬉しいですね。これまでに関わった人は世界中にいます。ダンスカンパニーでディレクターを務めている人も多いですが、皆さんいつも、「あの時、習ったことは一生忘れない」と言ってくれます。そういう人たちからも多くのお祝いのメールをいただきました。

──7月にはベネチア・ビエンナーレで『ペトルーシュカ』を上演します。
勅使川原 楽しみにしています。海外での他のプロジェクトも進行中です。海外には、このアパラタスでの創作を携えて行くということを、皆さんにぜひ知っていただきたいと思っています。



公演は2/4(金)より開幕です。
ご予約は、各回前日24時までメールとフォームにて受付中。
皆様のご来場をお待ちしています。