下北沢通信

中西理の下北沢通信

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アップデイトダンスNo.94『告白の森』(佐東利穂子振付)@カラス アパラタス B2ホール

アップデイトダンスNo.94『告白の森』(佐東利穂子振付)@カラス アパラタス B2ホール



 佐東利穂子振付によるソロダンス「告白の森」を見た。ずっと以前に行われた山の手事情社の安田雅弘と上海太郎舞踏公司上海太郎ク・ナウカの宮城聡の対談の中でダンスと演劇の違いについて演劇は人間にしかなれないが、ダンスはそうではないと論じられたことがあったが、この日佐東利穂子が演じた(あるいは示現したといってもいい)ものは明らかに森の奥にいる人間ではない何かであった。バレエでいえば「白鳥の湖」「ジゼル」「ラ・シルフィード」などは深い森の中での人ではない何かとの遭遇を描き出しているが、この「告白の森」もこれまで表現されたことのない何かの示現として、そういう「人ではない何か」の新しい立ち現れを感じさせた。面白いのはこれがソロダンスということで、前述のバレエがすべて人間である王子とそうした異界のものとの遭遇を描いており、そこには人間の側からの目線が入っているのが、ソロであるこの作品ではそれを目撃するのは観客である我々のみであり、前述の「異界のものとの遭遇」の表現にある能楽的構造(演劇的構造といってもいい)がここには見られないことだ。
 勅使川原三郎は最近の作品では佐東利穂子をヒロインとして作品の中心に据えることが少なくない。物語性の高い演劇や小説などを原作にした「オフェーリア」「白痴」「トリスタンとイゾルデ」などがその代表的な作例だが、それらの作品群と「告白の森」では佐東の在り様がまったく違うように感じた。前者ではダンスアクトレスとして佐東は何かの役を演じているように思えた。佐東には役柄を演じる女優としての高い資質があり、それはそれらの作品を完成度の高い作品に仕上げることができる理由となっているのだが、そういうダンス作品とこの「告白の森」では成り立ちがまったく違うのではないかと感じた。
 「告白の森」が連想させたのはあるいは大野一雄の舞踏作品であり、ドイツ表現主義舞踊の始祖であるマリー・ヴィグマンの作品である。ムーブメントそのものは通常の勅使川原作品とはかなり違うものであっても身体の有り様そのものは勅使川原メソッドによるものであるという意味では舞踏みたいとか、ドイツ表現主義舞踊(ノイエタンツ)みたいと評するには語弊があるのだが、佐東の身体が「人間ではない何か」の新しい立ち現れとして表出されている在り方にはそうしたソロダンスを髣髴とさせるところがあると感じたのである。

劇場 カラス アパラタス B2ホール
日程 2022年10月21日(金)ー30日(日)
詳細  https://www.st-karas.com/reservation1/