下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

第74回 東京藝術大学 卒業・修了作品展テント演劇(劇団身体ゲンゴロウ)B1F52LLLLLLLLLLLLLDDDDDDDDDDDDKKKKKKKKKKKKK「 無数に産まれたぼくたちは」@東京藝術大学上野キャンパス内テント

第74回 東京藝術大学 卒業・修了作品展テント演劇(劇団身体ゲンゴロウ)B1F52LLLLLLLLLLLLLDDDDDDDDDDDDKKKKKKKKKKKKK「無数に産まれたぼくたちは」@東京藝術大学上野キャンパス内テント

劇団身体ゲンゴロウの武田朋也、菅井啓汰による東京藝術大学卒業制作B1F52LLLLLLLLLLLLLDDDDDDDDDDDDKKKKKKKKKKKKK「無数に産まれたぼくたちは」を観劇。アリの世界を滅びゆく人類のメタファーとして描いた作品。演劇作品とテント劇場の双方を卒業制作作品として制作した。どうやら、5月にはこのテントを使用しての新作も予定しているようで、卒業制作という機会をとらえて、演劇が上演可能なテント劇場自体を作ってしまおうという発想が面白い。
 アリの世界と書いたが、生物としてのアリの生態をリアルに描写するというよりは寓話的な仕立てになっている。生物進化の描写としては羽根を捨てた蜂がアリになったというような説明は明らかに誤りであり理系出身の身としてはこういう部分はどうしても気になってしまった*1のだが作品としての設えは人間がアリを演じることで、それがそのまま現代の人間世界への風刺的な表現になっているため、そういう生物学的なディティールにはあまりこだわっていないのかもしれない。上演時間が30分ということもあり、テントの閉じられた空間が作品の最後に開け放たれるということと、巣の中のアリたち(これには観客も含まれる)が外に出ていくことになるという空間構造が二重重ねになりある種のメタファーとして機能するというのが作品の狙いなのだろうと思った。

■ あらすじ
羽根を失った雄蜂が、蟻の巣へ転がり込んだ。

君たちは卵だ。
ブランケットにくるまれ、殻の中で世界の匂いを嗅ぐ。
そこで君たちは目撃する
――働きアリたちが、何の迷いもなく、雄を産んだ英雄の腹を噛みちぎる瞬間を。

「雄は要らない」。そう言って、卵を次々と割る。感情はない。ただプログラムがある。
傷ついた仲間を撫で、餌を運び、死ぬべき者を殺す。迷いなく。

「私たちは優しくなるために機械になった」

遥か一億年前、羽根のない蜂が地面を掘り、互いを撫で合って生き延びた記憶。
小さくなるために感情を捨て、愛をプログラムに変えた。
一匹では何者でもない。巣として初めて、彼らは愛になる。

やがて巨大な足音が迫る。外から。テントの外から。
滅びのプログラムはもはや止められない。

地べたを這う雄蜂は、もげた羽根を震わせながら叫ぶ――
――「俺はやさしさ。俺は機械。その歯車」

■ 客席と舞台の境界がない自作テントで上演
本公演は、自作したテントの中で行われます。テントは上から見ると六角形で、観客は中心を囲むように座ります。どこからでも出入りできるオープンステージなので、役者も観客も自由に動けます。開演すると幕が閉じ、テント内が暗くなります。そこで明かされるのは、ここが「アリの巣」だということ。観客も役者も、同じ巣にいる「働きアリ」として物語が始まります。客席も舞台の一部になるのです。

テントの外から聞こえる騒音は、巣を攻める敵の脅威になります。テント内の寒さは、アリたちを弱らせる環境になります。現実の音や温度が、そのまま演劇の一部となるのです。

「外に強敵がいて、閉じこもるしかない」――これは人間が古くから抱いてきた根源的な恐怖です。舞台と客席が一体となり、演者と観客が同じ状況を共有する中で、やがて巣が崩壊していく様を描きます。


■ 武田朋也コメント

武田朋也
「武田の中学の恋バナ聞かせてよ」

これがすべての始まりだった。

2020年のコロナ禍。音響スタッフとして呼ばれたはずの公演のZoomミーティング。PCの前で一人、わけもわからず私はその詳細を語り尽くした。

翌日、稽古場にいくと私の恋バナが戯曲になっていて、なぜか主演になっていた。そして最悪なことに、当時その恋はまだ進行形だった。

血迷った私は、その公演に片想いの女の子を呼んでしまった。完全にホラーだ。呼ばれた彼女の困惑は計り知れない。

どれもこれも演劇のせいだし、菅井のせいだ。

そんな演劇に大学生活7年を注ぎ、菅井とタッグを組んできたのは誰か。その集大成が、「蟻の話をテントでやる」とは何事か。

とんでもない世界に迷い込んでしまった。
もはや私の責任だ。渾身の一撃、かまします。

プロフィール
1999年生まれ。静岡県富士市出身。
演劇作家(脚本、演出、舞台美術、音響、役者)、現代美術作家。都内を中心に演劇活動、現代美術との横断的な創作を軸にしている。「劇団身体ゲンゴロウ」所属、演劇ユニット「様相」メンバー。東京藝術大学 美術学部 先端芸術表現科卒業。現在、同大学院に在籍中。

■ 菅井啓汰コメント

菅井啓汰
何かを成し遂げなければ、人生は無意味。
そう思い込んでいた時期が、誰にでも一度はあるはず。私は辛うじて今もですよ。

本芝居は、人が身体を使って本気で蟻を演じます。そりゃもう、それなりに滑稽です。演出に、動きが蟻っぽくないって言われます。感情の出し方が蟻っぽくないって。

蟻っぽいってなんだよ。行進すればいいの? 感情を感じる頭もないらしいけど。今日も黙々と働いて、気づけばいなくなる。目立たないし、名前も残らないし、たぶん誰にも感謝されません。

一匹の蟻の人生に、意味はあるのか。その問いを舞台上で追いかけているうちに、気づけば、「自分の人生は何に支えられてきたのか」という問いにすり替わっていきます。

1億年を超えて種を残すために機械となった蟻。その生は残酷で、美しくも見えてきます。

テントという巣に入れば、あなたも蟻の一匹です。
セリフはありません。
ノルマもありません。
それなのに、なぜか少し疲れます。
たぶん、ちゃんと生きているからです。

プロフィール
大学の身体言語論という授業で演劇にハマってから、劇団身体ゲンゴロウを立ち上げました。脚本、演出を中心に色々と公演をやらせてもらっています。大学というよりは、稽古が始まると稽古場に、始まる前はマクドナルドにいます。本の〆切前のたび、マクドナルド前の電柱に泣きついているのが私です。

2025年の主な公演
劇団身体ゲンゴロウ「ジャンク・チャック・ハック」(千本桜ホール 作・演出)
音楽朗読劇「クニゲイ」(狛江エコルマホール 脚本)
声優朗読劇「新・南総里見八犬伝 笑わないお姫様」(千葉県南総文化ホール 作・演出) など
■ 公演について考えていること
アリを通して、現代社会を照射する
あらゆる分断が可視化された現代において、私たちは共同体を作りたいと考えています。

アリは世代間の分断が強い生物です。働きアリは全員、女王アリの子供です。そして高齢になるほど、巣の外での食料調達や戦闘など、死ぬ危険が高い役割を担います。つまり、高齢のアリから自然に間引かれていくのです。

劇中では、「どのアリが巣の外に出るか」など、アリの生態をなぞった話題が展開されます。しかし人間がアリを演じることで、世代間の格差や高齢者への偏見といった、現代社会の分断の問題が重なって見えてきます。

これまで当劇団は、理想の共同体とその崩壊をテーマに演劇を作ってきました。今回はアリを通して、現代に結びつく共同体のあり方を考えます。

最後に観客がテントを出て帰る瞬間。それは「居たかった共同体から出なくてはいけない」という体験になります。そのカタルシスを作り出せたら、この公演は成功だと思っています。

疑似的に古代アテナイを作り出す
かつての古代ギリシアでは、民主制とともに演劇が生まれ、市民が多く参加しました。コミュニティが集まり、その共同体の物語を語る場として、都市のど真ん中に劇場がありました。コロスは一般市民が演じていたという研究もあります。

演劇がショーアップされ、都市の中心に劇場がない現代でどう劇場に共同体をつくるか――テントに入って幕が下りた時、今・ここでという限定のもとで、疑似的あるいは緩やかな連帯を作り出すことを目的にしています。

*1:説明の仕方としては違和感がなくもないが、蜂の一種がアリに進化したというの正しかったようだ。ここは私の完全な勘違い。