下北沢通信

中西理の下北沢通信

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1970年沖縄返還前夜「コザ騒動」の日、一家族の物語から沖縄の宿命を俯瞰 『hana-1970、コザが燃えた日-』(畑澤聖悟作、栗山民也演出)@東京芸術劇場プレイハウス

『hana-1970、コザが燃えた日-』(畑澤聖悟作、栗山民也演出)@東京芸術劇場プレイハウス

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 渡辺源四郎商店(青森市)の畑澤聖悟の脚本、栗山民也の演出による舞台『hana-1970、コザが燃えた日-』東京芸術劇場プレイハウスで観劇した。年間回顧「演劇ベストアクト2021」*1で「生と死のあわい」を描いた作品が最近多いと書いたが、ベストアクトのトップに選んだKAATプロデュース(岡田利規×内橋和久)「未練の幽霊と怪物『挫波』『敦賀』」がそうであったし、昨年この東京芸術劇場プレイハウスで観劇したNODA・MAP「フェイクスピア」も青森の恐山のイタコを媒介として死者の魂が示現する物語であった。『hana-1970、コザが燃えた日-』もそうした作品のひとつといってもいいかもしれない。
 畑澤聖悟は青森県立中央高校の演劇部顧問として高校演劇コンクールで最優秀賞となった「修学旅行」で沖縄に修学旅行に来た高校生を通じて沖縄の問題を取り上げたほか、渡辺源四郎商店とおきなわ芸術文化の箱との合同公演「ハイサイせば〜Hello-Goodbye〜」などで沖縄を主題とした作品に取り組んできた。一方で死者の霊を降ろすイタコが高校野球の監督になり弱小野球部が快進撃をするという「もしイタ ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」のようにコミカルななかで東日本大震災の被災者を弔うという内容の作品も手掛けてきた。青森在住の劇作家が沖縄の歴史を手掛ける作品にやはり青森出身の松山ケンイチが主演するという今回の組み合わせには作品を見る前には若干の疑問も感じていたのだが、ふたを開けてみると極めて畑澤聖悟らしい作品に仕上がり、松山も舞台作品として彼がこれまで演じてきた役の中でも丁寧な役作りでこの作品を支えたのではないか*2
  『hana-1970、コザが燃えた日-』は復帰前夜の沖縄コザ市で1970年12月20日にあった米軍に対する沖縄住民の暴動「コザ騒動」という現実に起こった事件を背景に描かれる。騒動が起こった場所の近くにあるバー「hana」を舞台にこの店を営むおかあ(余貴美子)と三人の子供たち(松山ケンイチ岡山天音 / 上原千果)を巡る物語がリアルタイムの一場劇として展開されていく。

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 舞台装置は「hana」をリアルに再現したもので、俳優も誇張のない自然な演技なのだが、実は劇作には大きなトリックがある。「生と死のあわひ」と書いたのは最初はそうであることは分からないのだけれど、バー「hana」を切り盛りしているおかあの末娘ナナコが実はすでに以前に米兵に暴行された挙句に殺されており、物語の冒頭から最後までおかあにしか見えない「死者」として舞台に立ち続けていることが分かってくる仕掛けなのだ。
 つまり、現実に起こったことの描写のようにリアルに見せながらも、ここにはおかあの主観にのみ存在する出来事が混ざりこんでいる。舞台はリアルな群像会話劇として展開しながら、どこまでが現実か、あるいはおかあの妄想なのかが分からない。そこに観客は微妙な違和感を感じつつ作品を見続けるのだが、次第にナナコは周囲の人たちには見えておらず、会話も一方通行でそれはおかあにだけ見える幻想だということが分かってくる。
 兄が家を飛びだし、やくざ者になり、この家族が事実上崩壊していることも分かってくるのだが、そうした出来事にも妹の死は大きな影を落としている。それというのはこの家族はおかあが孤児となっていた兄妹を引き取った血のつながりのない家族で、妹の死はその最後に引き金になった。明確な形で提示されてはいないが、血のつながらない兄に寄せた許されない思慕が拒絶されたことが、妹が米軍兵の出入りする店で暴行され、殺されることになった遠因ではないかということを兄弟が感じていて、それが兄弟間のわだかまりになっていることも物語後半で暗示される。
 それ以外の登場人物にも死者の影は落ちている。家族の父親役を演じていた男が太平洋戦争の沖縄戦で遭遇した多くの死者。脱王兵ベトナム戦争で殺した人たち……。彼らも被害者、加害者として多くの死と遭遇しており、こうした死の影も作品全体を覆いつくしている。
 最初と最後にスクリーンに映し出された映像によりナナコを演じる上原千果 により「花はどこへ行った」が歌われる。複数の歌い手がカバーし日本語訳の歌詞もある楽曲だが、70年代当時は劇中でもその名がナナコの口から取り沙汰されるようにピーター、ポール&マリー(PPM)の手によりベトナム戦争への反戦歌として大ヒットしていた。この歌も当時の沖縄を反映して英語で歌われるが上原千果による歌唱は歌唱における技巧はあまり使わず素直で透明感のある歌声がとても魅力的だった。映像のほか最初はソロ、物語の最後では兄たちと一緒にと二度も舞台上でも歌われ、この作品の生み出すイメージの主旋律となっているといいかもしれない。

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 面白いのは最初と最後の二つの映像が同じ歌を同じ歌い手が歌っているのにも関わらず、その意味合いが違って見えたことだ。最初の映像ではその後、マイクを前にのど自慢のようなイベントでナナコが歌う場面(の回想)につながっていくように歌われているのは「ピーター、ポール&マリー(PPM)が歌っていたヒット曲」としての「花はどこへ行った」であった。それが最後の映像では歌っているのが死者としてのナナコかそれを演じていた上原千果 なのかははっきりしないが、この歌は「死者のナナコ」を含め、この物語を覆いつくしている死者の全員に対する鎮魂歌として歌われている、あるいはそのように聴こえるのだ。そして、ここから先はたぶん私個人の思いながらも、それは沖縄の無念への鎮魂にも聴こえた。
 
 

出演 松山ケンイチ岡山天音神尾佑櫻井章喜金子岳憲 / 玲央バルトナー / 上原千果 / 余貴美子
スタッフ 作: 畑澤聖悟 / 演出: 栗山民也

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:とはいえ、この舞台を見終わり、いつの日にか畑澤聖悟×松山ケンイチのコンビによる青森を描いた舞台も見てみたいとも思った。