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中西理の下北沢通信

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大竹野正典のかつての盟友らが作り上げた「死と生」の邂逅 くじら企画「サラサーテの盤」@座・高円寺1

くじら企画「サラサーテの盤」@座・高円寺




 くじら企画「サラサーテの盤」@座・高円寺を観劇。「サラサーテの盤」(1994年初演)は大竹野正典が犬の事ム所時代に今はなき扇町ミュージアムスクエア(OMS)で初演。この初演時は舞台を見ている。その後、くじら企画としても再演し、大竹野の没後、追悼企画でも上演され、今回は4回目の上演となる。
 表題の通りに内田百聞の短編小説「サラサーテの盤*1 *2が原作だが、実はそれをそのまま舞台化したものというわけではない。「サラサーテの盤」を核に内田のいくつかの小説・随筆からの抜粋をコラージュして再構成したような内容となっており初演時に三十代だった大竹野にそんな意識がどこまであったかは疑問だが、この作品は作品全体が「老いと死」というモチーフで覆われており、出演者の年齢も実際に老境に差し掛かりつつありこともあり、コロナ禍以降の現在上演されることで表現された劇世界のリアリティーは一段と増していると感じさせられた。

 「サラサーテの盤」を見て大竹野作品に共通する劇構造として死者の召喚というのがあるのではないかと思った。初演の頃の印象としては「サラサーテの盤」は犯罪事件を描いた「事件もの」の作品群とは一線を画したものと感じられていたのだが、先日オフィスコットーネ「サヨナフ」*3を見てその印象が薄れないうちに「サラサーテの盤」を見て、主人公である男が「死者」あるいは「死者の記憶」をちゃぶ台がある自分の部屋に召喚し、彼らと交わす会話により物語が進行していくという能を思わせるような作品構造が大竹野作品のメインモチーフとなっていることに気が付いたのだった。
 ただ、「サラサーテの盤」ではそこに中間項として内田百閒の小説「サラサーテの盤」が挟み込まれたことで、その構造は重層化、並列化されより複雑なものとなっている。「サラサーテの盤」は鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」(1980)*4の原作として有名だ。映画好きで映画へのオマージュ作品は珍しくない大竹野だが、本作の上演時には「ツィゴイネルワイゼン」はまだ見ていなくて、むしろ影響を受けるのが嫌であえて見るのを避けていたとも直接本人に話を聞いた記憶がある。「ツィゴイネルワイゼン」と「サラサーテの盤」は主要人物の名前が異なるなど、著作権の問題などもあり大きな違いがあることなどを指摘した論考(https://core.ac.uk/download/pdf/144431075.pdf)が過去に執筆されているが、その意味では人物設定などの側面では大竹野正典の「サラサーテの盤」は原作により忠実といえなくもない。ただ、大竹野版「サラサーテの盤」ではなくなった主人公の父親を巡るエピソード、飛行機乗りとして戦場で亡くなったかつての教え子の話なども「死者にまつわる物語」として盛り込まれている。そうしたエピソードはどうやら百閒の別の作品から引用されたものもあるようだが、ここでそれを事細かに指摘することは手に余る。だが、全体として彼らの舞台上での存在が「死者の世界」を暗示していることは間違いないし、作者の大竹野が亡くなってから10年以上の時をへて、昔大竹野と一緒にこの物語を上演した俳優らがいまだに健在でこの物語を上演しているのを目の当たりにすることで、入れ込状に重なり合った「死と生」のあわいを感じ取ることになった。東京の俳優で上演しても十分に好舞台になったであろう戯曲ではあるが、こういう味わいはここでなければ味わえないものだと思う。

くじら企画「サラサーテの盤
2022年5月21日(土)・22日(日)
東京都 座・高円寺

2022年6月3日(金)~5日(日)
大阪府 in→dependent theatre 2nd

作・演出原案:大竹野正典
演出:くじら企画
出演:戎屋海老、秋月雁、九谷保元、栗山勲、大竹野春生、柴垣啓介、オットー高岡、小栗一紅、林加奈子、森川万里、ふくいあかね、後藤小寿枝

くじら企画 大竹野正典 追悼三夜連続公演 第一夜「サラサーテの盤」(ゲネプロ)@精華小劇場 - 中西理の下北沢通信