下北沢通信

中西理の下北沢通信

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ドロシー・L・セイヤーズ「誰の死体?」(創元推理文庫)

ドロシー・L・セイヤーズ「誰の死体?」創元推理文庫)を読了。

誰の死体? (創元推理文庫)

誰の死体? (創元推理文庫)

Whose Body? (1923) 『誰の死体?』 ◎
Clouds of Witness? (1926) 『雲なす証言』 ?
Unnatural Death (1927) 『不自然な死』?
The Unpleasantness at the Bellona Club (1928) 『ベローナ・クラブの不愉快な事件』
Strong Poison (1930) 『毒を食らわば』◎
The Five Red Herrings (1931) 『五匹の赤い鰊』◎
Have His Carcase (1932) 『死体をどうぞ』◎
Murder Must Advertise (1933) 『殺人は広告する』
The Nine Tailors (1934) 『ナイン・テイラーズ』
Gaudy Night (1935) 『学寮祭の夜』
Busman's Honeymoon (1937) 『忙しい蜜月旅行』

 私のミステリ好きのひとつの原点はアガサ・クリスティーにあるので*1、当然昔から女性作家としてクリスティーのライバルとされてきたドロシー・セイヤーズの存在は意識はしてきたのだけれども、これまでの私は以前に何度か「ナイン・テイラーズ」を読みかけては挫折したトラウマもあって、ドロシー・セイヤーズのあまりいい読者とはいえなかった。
 だが、やはり女性ミステリ作家としてどちらもクリスティーの後継者として、ミステリの女王の称号を受け継ぐものとみなされてきたルース・レンデルとP・D・ジェイムズがどちらも声を合わせたようにクリスティーの後継者としてみなされるのを嫌って、その代わりに尊敬する作家はセイヤーズだというものだから、その存在を無視できないとともにクリスティーを支持するものとしてはやや鼻白むところもあって、これまでは食わず嫌いしてきたところもあったのだけれど、ちょっとしたきっかけもあって、目指せセイヤーズ全作読破ということになったのである。
 さて、その第一弾がデビュー作でもある「誰の死体?」なわけだが、これだけではまだなんともいえないところがあるものの、この作品を読んでセイヤーズについてちょっと勘違いしてことにも気がついた。
 というのは前述の作家たちが支持していることから、文学的な味わいのあるものと考えていたのに対し、実際の作品は作者の文学趣味はピーター・ウィムジイ卿がやたらと文学の引用をしたりする衒学趣味や蔵書狂でもあるようなところから伺われはするのだが、その作品自体は文学的というよりはドタバタ喜劇(スラップスティック)の要素が強く、これは分類するとすればミステリの要素はもちろんあるけれど、ディクソン・カーの一部作品とも近しいようなファルス(笑劇)だなと思われたからだ。
 そもそも冒頭の状況からして、ある建築家の風呂場から鼻眼鏡だけをつけた全裸の男の死体が発見されるというのだから、これはよく考えてみるとかなり馬鹿馬鹿しくも突飛なシチュエーションじゃあないだろうか。登場する人物にしても貴族探偵という風に紹介されることが多いので勘違いされることも多いが探偵のピーター・ウィムジイ卿にしても、その従僕のバンターにしてもかなりデフォルメされた喜劇的人物として登場する。「面長で気のよさそうな顔はゴルゴンゾーラ*2から白い蛆虫がわくように、かぶったシルクハットから自然に生えたかに見える」というのだが、この描写ひとつをとっても名探偵の最初の風貌の描写としてはずいぶん妙なものではないだろうか。
 クリスティーが「スタイルズの怪事件」でデビューしたのが1920年で、この「誰の死体?」は1923年だから、ちょうど3年遅れでデビューしたことになる。ちなみに同じ年にクリスティーは「ゴルフ場殺人事件」を発表している。
 同じ処女作として「スタイルズの怪事件」と「誰の死体?」を比べると、複雑なプロットを処理してひとつの物語にまとめ上げていく手腕としてはやはりクリスティーの方に軍配を上げざるをえない。この時期はクリスティーとしても試行錯誤の時代ではあったには違いないのだが、ある意味でクリスティーの場合はデビューした「スタイルズ」からして、ミステリ小説としては完成していたのに対して、セイヤーズの「誰の死体?」にはまだまだ若書きの印象が強いからである。
 ただ、この小説がクリスティーにはない魅力をすでに持っていることも確かで、それは犯人像と死体処理のトリックにかかわるような「黒いユーモア」のようなもので、こういうシニカルな面はセイヤーズならではのものかもしれない。プロットが単純でそれほどのひねりが感じられないので、そのあたりが純粋のミステリ小説としては物足りないところなのだが、それでも真相に思い当たったときにはちょっとゾクっとくるものがあった。
 もっとも作品リストを見て思ったのはライバルとはいってもそれは一時期ライバルとみなされたということであって、この2人を比較するのはセイヤーズにとってはあまりフェアなことではない。というのは少しびっくりしたのだが、セイヤーズは長編が11篇しかないので、なんとなくP・D・ジェイムズのように寡作な作家だと思っていたのだが、寡作なわけではなくて、実質的な活動時期がわずか14年とすごく短いのである。クリスティーの場合は老齢になるまでその旺盛な創作意欲が衰えなかったという稀有な存在だったということはあるにしても、個人的には初期の作品に大トリックを駆使した代表作と思われる作品(「アクロイド殺人事件」26年、「オリエント急行殺人事件」34年)はいくつかあるにしても、試行錯誤を脱してその真価が発揮されるのはセイヤーズがミステリ作家としての筆を絶った37年より後のことだと考えるからだ。
 セイヤーズがその短い活動時期にどのように作家として成熟していったのか。すでにいくつか読んでいたり、読んでいるかどうかが分からない作品もあるけれど、これからしばらくの間、時系列でセイヤーズの作品を通読しながら考えてみたい。
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*1:ひとつのと書いたのはもちろんもうひとつは、というか珍しくもないけれど唯一無二の存在が小学生時代に出会ったシャーロック・ホームズだからだ

*2:チーズの一種