下北沢通信

中西理の下北沢通信

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後期クイーン論に向けた序章として(番外編4)  エラリー・クイーン「レーン最後の悲劇」(角川文庫)

後期クイーン論に向けた序章として(番外編4)  エラリー・クイーン「レーン最後の悲劇」(角川文庫)

ドルリー・レーンの四部作はバーナビー・ロスというまったく別名義のペンネームを使用していて、そのことの意味が明らかにされた後はそのペンネームは封印されていたように最初からこの「レーン最後の悲劇」までのグランドデザインが用意されていたことは間違いないだろう。この作品に至って前作に突然登場したサム警視(もう引退して私立探偵になっている)の娘、ペイシェンス・サム(パティ)がなぜ登場するかが初めてはっきりするわけだが、最初から四部作の構想があったとすると最初の二作「Xの悲劇」「Yの悲劇」ではなぜ彼女の存在がいっさい言及されなかったのかという疑問が生まれてくる。もちろん、プロット的にこの二作に主要登場人物としてパティが現れるのは困難であるというのは確かだが、いろんな伏線を仕込んでいたのも確かだから娘の存在をほのめかしていてもおかしくはないだろうと思えるからだ。
 はっきりした論証は難しいが、ありえるかもしない仮説を思いついた。それは最初の二作の時点で次の二作にドルリー・レーンのライバル的性格の名探偵を出すことは決めていたが、その時点ではまだ人物設定は決まっていなかったのかもしれないという可能性だ。「レーン最後の事件」を読みながら次のように考えたのである。
 サム警視とペイシェンスの関係はリチャード・クイーン警視とエラリー・クイーンの関係を彷彿とさせる。だとすれば最初はこのライバル探偵はエラリー・クイーン的な男性だったのではないか。ただ、それだとエラリーに似すぎていて、バーナビー・ロス=エラリー・クイーンという四部作のもうひとつのメイントリックがネタバレしてしまう危険が大きい。このことに気が付いてのをどこかの段階で探偵役を女性に変更したのではないか。
 昔はこういう想像が許容されたが、現在は実際の創作についての裏側がかなり明らかになっている現在ではそうした可能性は完全に否定されている*1のかもしれないが、伝記的事実を離れて作品テキストを基にした探求ではそういう仮説も成立するのかもと思ったのである。
以下ネタバレ




















 クリスティーとクイーンには相互的影響関係がかなり色濃くあったのではないかということを以前「フォックス家の殺人」と「五匹の子豚」の類縁性について指摘*2したが、名探偵の幕引きのやり方という点において「カーテン」*3(執筆は1943年)が「レーン最後の悲劇」(1933年)を意識していることは誰の目から見ても否定できないであろう。
 「レーン最後の悲劇」という作品には評価すべき点はいろいろあるし、いくつかの点においてミステリ史に残るような作品とも思うが、いくつもの明白な欠点があることも確かだ。ひとつは中心的なモチーフとなっているシェイクスピアに関係する稀覯本についての話題がジャガード版の「情熱の巡礼」についてのものであって、高名な戯曲に関するものではないため、シェイクスピアの演劇が好きでよく見る現在の私のようなものでもとっつきにくいものであることだ。この小説の前半部分はほとんどがジャガード版の一五九九年発行「情熱の巡礼」ジャガード版が盗まれて一六〇発行「情熱の巡礼」第二版ジャガード版が代わりに返送されてくるなど稀覯本に関する豆知識としては興味を引かなくもないが、正直興味が持ちにくいマニアックな内容だとことだ。こうしたトリビアルな知識に基づき物語が展開していくのでシェイクスピアに興味がある人にとってさえなかなか興味が惹かれにくいし、ましてやシェイクスピアについて関心がなければ退屈してしまうのは仕方がないところがある。
 しかしながら、真相に至るペイシェンス・サムの二つの推理「殺されたのは誰か?」「犯人は誰なのか?」の鮮やかさは特筆すべきもので、クイーン作品中でも「エジプト十字架の謎」のヨードチンキの謎にかかわるエラリー・クイーンの推理と双璧をなすぐらいのものではないかと思っている。 
simokitazawa.hatenablog.com
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*1:現在は否定されているがダネイとリーの合作方法が明らかにされる以前には藤子不二雄のようにコンビのうちのどちらかがクイーン名義の作品を書き、もう一方がバーナビー・ロス名義の作品を書いていたのではないかという説もまことしやかに囁かれていた時期もあった。

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3: