下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

シェイクスピア劇のセリフ、縦横無尽に引用。Kawai Project「ウィルを待ちながら ~インターナショナル・ヴァージョン」@こまばアゴラ劇場

Kawai Project「ウィルを待ちながら ~インターナショナル・ヴァージョン」@こまばアゴラ劇場

田代隆秀はシェイクスピアの全作上演を果たしたシェイクスピアシアターの創設者のひとり。退団後は劇団四季に参加、『オペラ座の怪人』などのミュージカルにも出演する一方で、近年は平幹次郎や蜷川幸雄のカンパニーでもシェイクスピア作品を演じてきた。
高山春夫は鈴木忠志率いるSCOTの出身。同劇団で代表作『リア王』に出演したほか、近年はやはり『リチャード三世』『ロミオとジュリエット』など蜷川幸雄演出のシェイクスピア作品に次々と出演してきた。
それぞれの所属した劇団四季、SCOTという母体からしても日本の演劇を支えてきたと言える二人が参加して劇中で縦横無尽に引用されるシェイクスピアのセリフを丁々発止にやりとりするのがこの舞台の魅力だ。それを作演出するのが日本を代表するシェイクスピア学者であり、さらに言えば日本最強の「シェイクスピアオタク」と言えそうな河合祥一郎。となればシェイクスピア好きな演劇ファンにはたまらない作品と言っていい。
2018年に今回と同じこまばアゴラ劇場で初演された作品*1ではあるが 、今回はやはりシェイクスピア作品の引用を多用していた野田秀樹の「フェイクスピア」を観劇した記憶も新しい時期に観劇としたこともありどうしてもこの2作品を比較したくなってしまった。
「フェイクスピア」と「ウィルを待ちながら ~インターナショナル・ヴァージョン」には共通点が多い。ひとつは物語の始まり方だ。「フェイクスピア」では舞台冒頭に白石加代子が登場して観客席に向かって「白石加代子です」と名乗るところからスタートする。この「ウィルを待ちながら 」でも田代隆秀、高山春夫はそれぞれ本人として登場し、シェイクスピア劇との出会いを語り始める。
 面白いのは田代隆秀、高山春夫の特別なところは、ここで語ったことは個人の回想に過ぎないのに登場する演出家、劇団、作品の固有名詞が凄いことだ。文学座鈴木忠志浅利慶太蜷川幸雄、平幹次郎、「レ・ミゼラブル」……。そのままで戦後の日本演劇史を語ることになっている。
 もちろん、この作品の最大の売り物はシェイクスピアの引用だから、過去のそれぞれのエピソードが詳しく語られるというわけではないけれど、海外での上演も視野に入れた「インターナショナル・バージョン」ということを踏まえるとシェイクスピアが日本においてどのように受容されていて、日本の演劇の中に位置づけられているのかというのが自然に伝わるようにもなっている。
そういう意味でこの作品は「演劇についての演劇」だ。その意味ではシェイクスピアの作品自体そういう色合いを持っている。後半連続して引用されるセリフにはこの世界を舞台に準えているものが数々ある。
 それだけではなくこの作品は有名な過去の演劇作品を下敷きとしている。ひとつめは言うまでもなくベケットの「ゴド―を待ちながら」だ。「ウィルを待ちながら」という表題も二人の男が誰かを待っているが、なかなかその人は現れないという筋立ても明らかに「ゴド―待ち」を意識している。
 そして作者が意識しているもうひとつの作品は「ゴド―」ほど明確に示されているが、清水邦夫の「楽屋」がやはり発想のもとにあると思っている。ここで何かを待ちながら延々と時間をつぶしている男は現実の存在ではない。「楽屋」にもシェイクスピアの作品にも繰り返し現れる亡霊のような存在ではないかというのが次第に分かってくる。そこも芝居好きにはたまらない魅力だ。
 とはいえ、やっかいな部分もある。「シェイクスピア全40作品から名ゼリフを集めて1本の芝居に仕立て上げた」といえばいいように思うが、そこまでやると「フェイクスピア」で野田が行ったような演劇ファンならそれが何かすぐ分かるというような域を超えてしまう。
 途中で互いにシェイクスピア劇を演じあい、引用源を当てあうシーンも出てくるがほとんどシェイクスピアカルトクイズの域に入ってしまっている。
 作者の河合祥一郎に匹敵するような「オタク」のみがキャッチアップできるのではないか*2
 さらにセリフの一部は原語(英語)のまま演じられる。マスクをしたままでこれを見ざるを得ない状況は私にはかなり厳しい環境で、集中力が何度か切れそうになった。
 とはいえ、NODAMAPの橋爪功白石加代子についても同じように書いたが日本を代表する舞台俳優である田代隆秀、高山春夫の丁々発止のやりとりには見るべき価値がある。ましてやこまばアゴラ劇場という狭い空間で至近距離でそれが見られたというのは演劇ファンとして得難い快楽であったと思う。

作・演出:河合祥一郎
出演 田代隆秀、高山春夫

シェイクスピア翻訳・研究で知られる河合祥一郎が、シェイクスピア全40作品から名ゼリフを集めて1本の芝居に仕立て上げた作品。2018年の初演後シビウ国際演劇祭招聘作品となりながらもコロナ禍ゆえに延期され、2022年の演劇祭参加に先駆けて、ついに待望の再演! 初演の台本に手を入れ直し、ヴァージョンアップしてお目見えする! ウィルを待ち続けるふたりの役者が口にする名ゼリフの数々! 果たしてウィルとは何者なのか?

2021年7月2日[金] - 2021年7月11日[日]

Kawai Project

ウィルを待ちながら ~インターナショナル・ヴァージョン

作・演出:河合祥一郎

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:ここまで来るとそのシェイクスピア愛に感心こそすれ、それが知的な意味で面白いとは思えない。

クマリデパート×CROWN POP 2マンLIVE「ekoms presents「Q×C」」@新宿BLAZE

クマリデパート×CROWN POP 2マンLIVE「ekoms presents「Q×C」」@新宿BLAZE

クマリデパートとCROWN POPの対バンライブ。最近けっこう視察も兼ねてアイドルフェスには顔を出したのだが、当該のアイドルをよく知りたいと思ったら、こういう対バンライブはとてもいい経験になる。ただ、相手のファンなどにもその実力を余すところなく測られてしまうということもあるので発展途上のグループにとっては厳しい経験であるとも思う。
CROWN POPはもともと2人のボーカルに残りのメンバーはダンサーというダンス&ボーカルグループの色彩が強かったが、このところ全員が歌割りを担当する本格的なアイドルグループへと変貌を遂げてきている。特にダンサーの中心メンバーだった山本花織が脱退し、現在の5人体制になって以降はその傾向は加速されて、新曲はすべて5人での歌唱に変わりつつあるし、もともとは三田美吹、里菜の2人で歌っていた旧体制での代表曲「夏キラリ☆」などもコーラス部分や煽りにほかの3人が加わり、ただのバックダンサーには見えないように編成を変更したりという手直しを手掛けている。

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そういう中で成長が著しいなと頼もしく感じたのが藤田愛理(あいたん)。もともとボーカルだったことでCROWN POPはどうしても三田美吹、里菜の二枚看板という印象が強いのだが、次第に歌の面でも進歩を見せている藤田愛理に自然と目が行くことが多くなり、今や準エース的な存在になりつつあるのではないかと感じた。佐々木彩夏のソロコンでも彼女にはあーりんと二人だけで一緒に踊る場面に抜擢されたが、これはあーりんが彼女の成長を見抜いたのに加え、グループとしての彼女を推したいとの意図も汲んだということがあったのかもしれない*1
一方、クマリデパートはアイドルフェスなどで見たことはあったが、本格的なパフォーマンスを見たのはこれが初めてだった。6人編成でメンバーも色分けされている。歌い方も含めてキャラもけっこう分かりやすくあって、こういう分類されるのはファンは好まないだろうとは思うが、全員がそうというわけではなくアニメ声的な「萌え声」を強調するような売り方をみるとでんぱ組inc.を連想させるようなところはある。とはいえ、完全に模倣というわけではなくて、トータルのパッケージとしてのまとまりはかなり完成度が高いと感じた。


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楽曲はとにかく楽しいというだけで作られているものが多く、中でも初めて衝撃的だったのが「ネコちゃんになっちゃうよ~」という楽曲。何というか、音楽の系譜をたどるのもバカバカしいと思うほど、日本のアイドルソングからしか出てこないような飛び道具的な楽曲だと思う。

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同じアイドルソングと言ってもCROWN POPとクマリデパートはかなり対極なところがあると思うのだけれど、バンドだとこれだけ音楽性が違うとなりたたないような 2マンLIVEというのが普通に展開されているのが面白かった。
この日のクマリデパートの目玉は新曲である「限界無限大ケン%」という曲の披露にあって、終了後は特典会的なイベントもやられていたようだが、でんぱ組inc.の名前を出したのはこの曲がアイドルソングとしてつんく♂が種をまき、ヒャダインが育てたトンチキ系アイドルソングの最先端の1曲のように思うからだ。つんく♂ヒャダインもバカバカしいけど楽しければどうでもいいような楽曲を手掛けてきたが、それがさらにアップデートされた最新版のようなところがクマリデパートにはあると感じた*2

日時
2021年 7月 4日 (日曜日)
場所
新宿BLAZE, 日本、〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町1丁目21−7

CROWN POP
ekoms presents 『Q×C』
新宿BLAZE

0. SE
1.HAREBARE
2.なりたいガール
MC(自己紹介)
3.Real×live
4.EGO×search
MC
5.夏キラリ☆
MC
6.極LOVE浄土
MC(一旦挨拶 舞台袖へ)
7.NARIYAMANAI
MC

(5.藤田なし)

クマリがカバー
午後四時ごろの好きです

*1:結果として評判になったので大正解だったのかもしれない。

*2:ヒャダインはもう古いと思っているあなた。ヒャダインの最良の楽曲である「笑顔百景」になって突然Tiktokをきっかけにバズっているのだ。

超NATSUZOME2021@幕張海浜公園Gブロック

超NATSUZOME2021@幕張海浜公園Gブロック

mixch.tv
チケットを確保していたのだが、雨が予想されたことやコロナ禍の下体調を崩したくないこともあり、生参戦は断念。スパチャの配信で見ることにした。この日の目玉は朝一番の参加となった浪江女子発組合。プロデューサー(PPP)のあーりんをはじめ佐々木彩夏ソロコンサートを終えたばかりのメンバーが参集、充実のパフォーマンスを見せた。この日よく分かったのはももクロは音楽活動がテレビではほとんど紹介されていないこともあって、昨年のTIFへの登場やNHKワールドなどでの紹介はあっても浪江女子発組合の活動はまだモノノフ以外のアイドルファンにさえほとんど知られていないのだなということだった。本拠地、福島(浪江町)での活動はもちろん大切ではあるのだけれど一方で浪江町の宣伝塔的な役割も果たすことも重要なのだから、もう少し露出を増やすことを考えた方がいいのかもしれないと思った。
 こうした活動が単独での個々の活動にとどまらずにJA浪江メンバーの所属先であるアメフラっシやB.O.L.T.の活動と連動していくことがもう少し戦略的に行われていくのが重要ではないかと思った。
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浪江女子発組合の面白さはももクロはもちろんメンバーの所属グループのいずれとも似ていない音楽性・キャラクター性を持っていることだ。ひとことで言えば「清楚系」といってもいいのだが、ももクロに参加して間もなく「最強パレパレード」の振付に入っていた「コマネチ」がやりたくないと駄々をこねた「ももクロのアイドル」であるあーりんが「こういうアイドルに本当はなりたかった」という姿を具現化させたのが浪江女子発組合なのである。とはいえ、その種のアイドルがほとんどリップシンク(口パク)であるなかですべて生歌で勝負しており、スターダストの遺伝子はどこまでも受け継いでいる。
 この日は「ミライイロの花」「あるけあるけ」「なみえのわ」「またキミと。」の4曲を披露。この日一番の見せ場は早朝のパフォーマンスということもあり、浪江女子発組合への認識もなく、他のアイドルの物販に並ぶアイドルファンに向かって「浪江女子発組合です。よろしくお願いします」とアピール。ロッキンのメインステージでただ1組遠くに見える観覧車に向かって「観覧車の皆さん」と呼び掛けたももクロならではのアウエーでの振り舞い方を後輩に伝授していた*1

10:30~ 浪江女子発組合
ミライイロの花
あるけあるけ
MC
なみえのわ
またキミと。
10:55~ FES☆TIVE
11:15~ リルネード
11:55~ Task have FUN
12:15~ ukka
12:40~ アメフラっシ
セットリスト

①メタモルフォーズ
②MICHI
③Sensitive
④BAD GIRL
⑤グロウアップ・マイ・ハート

15:00~ #ババババンビ
15:30~45 アメフラっシ(2回目)

公演日

2021年7月3日(土)/7月4日(日)

会場

幕張海浜公園Gブロック

〒261-0021 千葉県千葉市美浜区ひび野2-116
2021年7月7日(水) 20:00〜7月14日(水)23:59

▶ 【ブラウザ版】アーカイブ視聴方法

*1:アメフラっシもこの後のライブで雨の中、特典会や物販に並ぶファンに対し「一緒に跳んで」との煽りをかましており、あーりん先輩の直伝の教育の成果をさっそく見せてくれた。

渡辺源四郎商店『親の顔が見たい』@アーカイブ配信

渡辺源四郎商店『親の顔が見たい』@アーカイブ配信

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渡辺源四郎商店『親の顔が見たい』はコロナ禍で中止にせざる得なくなった東京・下北沢ザ・スズナリでの公演を無観客で収録、配信したものだ。今年の春、渡辺源四郎商店は東京で2本、青森で1本の合計3本の演目を上演し、移動による感染リスクを軽減するために東京の2演目は東京在住の俳優、青森の演目は青森在住の俳優のみでキャスティングし上演するというかなりアクロバティックな企画を敢行した。
こんな離れ業が可能なのは全国広しといえどもこの劇団だけではないかという底力を感じさせ、それだけに観客を入れての公演を中止せざるをえなかったのは無念な出来事であったと思わざるを得ないが、こういうことができるのはこれまでに何年にもわたって毎年複数回にわたって東京と青森での公演を続けてきたことで培った人脈があればこそであろう。
 姉妹作で今回も青森のキャストによって上演することになった「ともことサマーキャンプ」は高校演劇として初演された後、何度も上演してきたが、「親の顔が見たい」を畑澤自身の手で演出したのは初めて。それだけにどんな風に料理するのか興味を持っていたのだが、結論から言えば演出的な仕掛けなどはほとんど用いずストレートに演じさせたのが印象的。決定版ともいえそうな演出にもなったわけだが、こういうことができたのはキャストの半数近くを占める青年団の所属俳優を中心に様々な思惑を含んだ親たちの群像劇という微妙な表現が的確にできる俳優をキャスティングできたという自信があったからではないかと思う。
 この作品の舞台としての難しさはそれぞれの人物のセリフには本音と建前がないまぜであることで、いずれの言葉にも重層的な意味合いが込められている。問題自体もいじめを引き起こした生徒たちをどのように扱えばいいのかには勧善懲悪のような単純な正答はなく、各自が発するセリフもきわめて多義的で一意な正しい解釈がないように作られているからだ。
 それぞれの人物には一見例えばそれがテレビドラマの学園物などに出てくるのだとすれば一定のイメージの鋳型に押し込まれやすいような人物造形の人物も含まれる。一見事なかれ主義に見える校長や教頭、いじめた生徒の親でありながら、他の学校の教師でもある夫婦、元警察官の生徒の祖父。
一見日常会話に見える会話のなかで畑澤は議論の流れの変容を巧みに描いていくが、ここには隠されていた新たな情報がどこで出てきて、それまでの議論の流れが一変してしまうのかなど畑澤が得意とする「会議劇」のノウハウが盛り込まれており、そこがなかなかスリリングである。見かけはかなり違ってみえるが、この作品は「12人の怒れる男たち」やそれを下敷きに三谷幸喜が書いた「12人の優しい日本人」のような裁判劇の系譜に属するものとも言えるかもしれない。
『親の顔が見たい』は畑澤聖悟がもともとは劇団昴サード・ステージに書き下ろした作*1で評判も良く同劇団でその後再演されたほか、いくつもの劇団で上演されることになった畑澤の代表作である。畑澤の作品にはシリアスな主題であっても題材をエンタメ性を持って楽しめるように娯楽性を持たせた作品が多いのだが、そんな中でこの「親の顔が見たい」はある都立の名門女子高で起こったいじめによる自殺を正面から扱い、遊びがあまりないような内容となっている。これは自分の劇団に書き下ろした作品ではなかったことにも理由はあるとも思うが、現役高校教師でもある畑澤がリアルに感じ、実際にこういうことは起こりうるということをストレートに書き下ろしたからではないか。


 


作・演出:畑澤聖悟
出演:石橋亜希子(青年団)、猪股俊明、小川ひかる、折舘早紀(青年団) 、各務立基、近藤強(青年団)、齊藤尊史(劇団民藝)、天明留理子(青年団)、 根本江理(青年団)、羽場睦子、三上陽永(虚構の劇団 ぽこぽこクラブ)、 森内美由紀(青年団)、山藤貴子(PM/飛ぶ教室) <五十音順>

ロロいつ高シリーズいつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校ファイナル2本立て公演@吉祥寺シアター

ロロいつ高シリーズいつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校ファイナル2本立て公演@吉祥寺シアター

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ロロのいつ高シリーズの完結編2本立て公演*1vol.9『ほつれる水面で縫われたぐるみ』は二枚看板である板橋駿谷と亀島一徳が珍しくそろって顔を揃え、さらに最後となるvol.10『とぶ』には篠崎大悟も加わり、フィナーレに相応しい顔ぶれとなった。
 ポストゼロ年代以降の世代の演劇作家では同世代で岸田國士戯曲賞を最初に受賞した柴幸男に代表されるように手法や方法論の実験性が目立ちがちで、ロロの三浦直之もデビュー時から「アニメ・漫画的リアリズム」といった世代の特徴も色濃く見られたが、その一番の才能はその人物造形の巧みさではないか思い始めている。そのことは彼が映画やテレビドラマの脚本も手掛けるようになってより強く感じるようになった。演劇においてはそれがもっともよく生かされ魅力的な登場人物が多いのがいつ高シリーズの作品群かもしれない。
 いつ高シリーズはある地方の高校を舞台にそこに通う生徒らを上演時間60分という高校演劇の上演ルールに基づいて描がきだす連作群像劇として構想されている。教室から中庭の渡り廊下、その近くにあるベンチ、自転車置き場、屋上、図書館などと次々と校内の異なる場所で展開していく。1作品に登場する人物は多くはない(下記参照)が、ある作品で出てくる人物が複数の別の作品にも登場したり、登場しないが作中で話題となる人物が別の作品には出てくるといった作品を縦断するつながりにより、個々の作品はスケッチ風の短編でも、全体をつなげるとまるで長い小説のようにひとつの学校という世界を俯瞰するように紡いでいくのだ。
 『ほつれる水面で縫われたぐるみ』で舞台となるのは水抜きされたプール。しばらく使用されていなかったせいか、そこには粗大ごみのようなものが散らかっており、それを片付けながら瑠璃色(るりいろ=森本華)が何かを探している。探しているのは友達である茉莉(まつり=多賀麻美)がかつて校内対抗でここに打ち込んだホームランボールなんだということが分かってくるのだが、それを瑠璃色が探すのは在校中に輝いていた瞬間を思い出させることで、卒業後の進路に迷っている茉莉を励まそうと考えているからだ。
 後半では群青(ぐんじょう=板橋駿谷)が大きな穴を掘ってそこに埋めようとしているタイムカプセルのエピソードが出てくるようにこの作品のモチーフは過去の記憶なのだ。そうした記憶を共有しながらも高校生活を終えた彼らはやがてそれぞれ別の世界に離れていく。
 記憶は実はこのシリーズを通しての主題なのかもしれない。作中に登場する様々な固有名詞から現代ではなく、三浦直之自身が青春時代を過ごした十数年前の時代を描いているようだが、例えばこの作品でもセブンティーンアイスプレイステーションウルトラマン、「天元突破グレンラガン」などの時代の刻印を押された言葉が頻出し、ある種の郷愁感が醸し出されるような仕掛けがほどこされているからだ。
 個々の作品は響きあうようにひとつの世界を構成しているが、今回の上演で驚かされたのは最後の「とぶ」であった。舞台上にはvol.1『いつだって窓際であたしたち』を思わせる教室のセットが配置されているのだが、それは実は体育館に置いたセットでそこで将門(まさかど=亀島一徳)が映画を撮っている。その映画を手伝っている篠崎大悟が一緒になって本読みを始めるのだが、その内容がどうやらvol.1と同じなのではないかというのが分かってくる。もう一度最終話の脚本で確認したうえでvol.1から再確認したい気分に襲われたのだが、ひょっとしたらvol.1がひょっとしたらvol.10『とぶ』で撮ろうとしている映画の中身であり、いくつかの作品はやはり映画の内容であって、このシリーズは入れ子の内外が入り混じっていたのではないかということなのだ。シリーズ中の作品にはいくつか非常にファンタジーな出来事が突然起こり、辻褄が合いにくいものが入り」こんでいるのだが、こうした系列の話が劇中で撮ろうとしていた将門の映画
の中身なんだと考えれば説明はつくのかもしれない。7月31日までの期限でちょうど過去作品の映像も公開されているようなので、ぜひもう一度見返してみたいという気にさせられた。

vol.9『ほつれる水面で縫われたぐるみ』
脚本・演出|三浦直之
出演|板橋駿谷 亀島一徳 森本華 重岡漠 多賀麻美
愛してやまないビニールプールが破けたのは4歳のころで、母が破けたビニールをぬいあわせて愛してやまない熊の吾郎をつくってくれたのは5歳のころ。吾郎のお腹から真っ白でふわふわのハラワタが溢れ出したのは、たしか10歳か11歳で、ハラワタを筆箱にしまって持ち運ぶようになったのは13歳。15歳で友達のためにつくったお守りあめにすり替わってたって気づいたのは17歳だったけど、そのときにはもうただの砂糖になっていて、それを溶かして学校の水を甘くしてやろうってプールサイドに立っている私はいま18歳。


vol.10『とぶ』
脚本・演出|三浦直之
出演|板橋駿谷 亀島一徳 篠崎大悟
ぼくの懐かしさはあなたの懐かしさじゃない。それをさみしいなんておもわない。いつかの放課後、体育館で進路指導の先生が「私の夢は光合成できるようになることです」って言ったことを、あなたは覚えてない。いつかの放課後、体育館で生徒会長が制服廃止をもとめて披露した手品をぼくは覚えてない。ぼくたちは、思い出を共有するためじゃなく、忘れたことを数えるためにいつまでもくだらない話を続けてるんだ、って気づくのは、もっとずっと先のこと。いまは、なにもわからないまま、さみしくなくて、体育館。

CAST

vol.9『ほつれる水面で縫われたぐるみ』
出演|板橋駿谷
亀島一徳
森本華 (以上ロロ)
重岡漠 (青年団
多賀麻美 (青年団

vol.10『とぶ』
出演|板橋駿谷
亀島一徳
篠崎大悟(以上ロロ)

STAFF

脚本・演出|三浦直之
美術|中村友美 いとうすずらん
照明|久津美太地(Baobab)
照明操作|蘭智咲
音響|池田野歩
舞台監督|岩澤哲野(libido:)
演出助手|山道弥栄(木ノ下歌舞伎)
谷口順子
イラスト|西村ツチカ
デザイン|佐々木俊
当日運営|黒澤たける
制作助手|大蔵麻月(libido:)
制作|奥山三代都 坂本もも

協力|中村未希
jungle
⻘年団
レトル
écru
合同会社 Conel
Baobab
theater apartment complex libido:
木ノ下歌舞伎
AYOND
合同会社範宙遊泳
急な坂スタジオ
ローソンチケット

vol.1『いつだって窓際であたしたち』
【出演】亀島一徳/森本華/島田桃子(以上ロロ)
    大場みなみ/多賀麻美(青年団)/新名基浩

vol.2『校舎、ナイトクルージング』
【出演】亀島一徳/島田桃子/望月綾乃(以上ロロ)
    大石将弘(ままごと/ナイロン100℃)/北村恵(ワワフラミンゴ)

vol.3『すれ違う、渡り廊下の距離って』
【出演】篠崎大悟(ロロ)/大石将弘(ままごと/ナイロン100℃)/大場みなみ/大村わたる(柿喰う客)

vol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』
【出演】森本華(ロロ)/多賀麻美(青年団)/田中美希恵

vol.5『いつだって窓際でぼくたち』
【出演】板橋駿谷/⻲島一徳(以上ロロ)
    重岡漠(⻘年団)/新名基浩

vol.6『グッド・モーニング』
【出演】望月綾乃(ロロ)/大場みな

vol.7『本がまくらじゃ冬眠できない』
【出演】篠崎大悟/島田桃子(以上ロロ)、
    大石将弘(ままごと/NYLON100℃)、端田新菜(ままごと/青年団

vol.8『心置きなく屋上で』
【出演】篠崎大悟 森本華(以上ロロ)
    多賀麻美(青年団)/田中美希恵/端田新菜(ままごと/青年団

ニブロール「センス・オブ・ワンダー」- a sense of wonder -@シアタートラム

ニブロールセンス・オブ・ワンダー」- a sense of wonder -@シアタートラム

ニブロール矢内原美邦が日本を代表するコンテンポラリーダンスの女性ダンサー・振付家である山田せつ子、木佐貫邦子を迎えて、ニブロールのチーム(高橋啓祐、SKANK)とともに新作ダンス作品を共同製作した。
矢内原は最近、自分が踊ることは以前より少なく、近畿大学で教授として教え始めた若いパフォーマーを作品に使うことも増えていることなどもあり、コンテンポラリーダンスの世界ではベテランとして遇されることも増えてきた感があるか、今回ダンサーとしても振付家としてもそして若手育成のスペシャリストとして大学教育にも携わってきた先達を招くことで原点回帰の狙いもあったのではないか。
 当日パンフの矢内原美邦のパンフに「ダンスのシステムを変えたいと思って挑み続けてきたが、世の中はそんなに簡単には変わらなかった」、それでがっかりした時に出会ったのが山田せつ子、木佐貫邦子、黒沢美香だったと記している。そのうち黒沢は鬼籍に入ってしまったが、残りの二人を招いた公演にあえて黒沢の名前を出したことが、矢内原がこの公演に込めた思いを表しているように思えた。

振付・出演に山田せつ子、木佐貫邦子、そして衣裳にひびのこづえを迎え、ニブロール待望の新作公演。
2021年
7月 2日(金) 19:00 
  3日(土) 14:00 
 4日(日) 14:00
シアタートラム

振付・出演:
 山田 せつ子
 木佐貫 邦子
 矢内原 美邦

NODA・MAP(野田地図)第24回公演『フェイクスピア』(2回目)@東京芸術劇場=ネタバレあり

NODA・MAP(野田地図)第24回公演『フェイクスピア』(2回目)@東京芸術劇場

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長い旅路の果てにたどり着いたのは私にとっては「なぜこれ選んだのだろう」という意味では相当に意外な出来事であった。その出来事を集団演技のアンサンブルで演じきった最後の数十分間はいかにも野田秀樹らしい場面といえるし、感動的でもあった。しかし、最後の最後まで私はこれをなぜ今芝居にしたのかという疑問が脳裏から消えることはなかった。そこで演じられた出来事がそれ自体としてではなく、現在進行形の出来事のメタファー(隠喩)として演じられたのかもしれないとも考えたがその解釈もどうもしっくりとはこないのだった。むしろ、現実に起こった出来事をすっかりそれが起きた時のままに舞台上で再現してみせる。それがフェイクつまり演劇の虚構であり、それこそがシェイクスピアから延々と繋がってきた演劇の存在理由だというのが、この作品で野田が問いかけたいことなのだろうと思わせたのである。

前回(1回目)の観劇の後で私は感想をこんな風にぼかして書いた。ネタバレにあまり拘泥しない私ではあるが、さすがにこの作品は「出来事」が何かという謎が最初は伏せられ、劇の進行を通じて徐々に明らかになるという構造となっている。作者が舞台の前半で意図的にぼかしているのは明らかで、それをわざわざ名指すことにどれだけの意味があるだろうかとその時点では判断したからだ。
以下ネタバレ




















ただ現時点(2回目の観劇)では戯曲を収録した雑誌も発売され*1、複数の新聞紙面にもそれを明らかにした劇評が掲載されている。そのことを鑑みれば、「出来事」が日本航空ジャンボ機墜落事故であるということを明らかにすることにそれほど大きな問題はないだろう。
この事故については墜落時のほぼ一部始終についてのボイスレコーダー(音声記録)が残っている。そこでの迫真の言葉の数々を実際に私たちも知ることができる*2野田秀樹は俳優の演技によるその再現により、そこでは語られてない機長らの思いに虚構(フェイク)としてそこにおもいを馳せていこうと試みた。
 この作品で野田秀樹は劇作家の神と彼が考えるシェイクスピアの創作した言葉(セリフ)を媒介にして、航空機事故という極限の状況で戦った人間が実際に発したいわば「真実の言葉」(ノンフィクション)を劇の言葉(フィクション)と対比させてみせた。
 もうひとつの重要なキーワードは飛行士でもありやはり飛行機事故で亡くなったサン・テュグジュベリが「星の王子さま」で書いた「大切なものは目には見えない」という言葉である。
 昨今の世界ではフェイクニュースのように「真実」はすべて「フェイク」(虚偽)へと変換されてしまう。事実が事実であるということの大切さも何の価値も持たないように貶められる。コロナ禍での野田の発言も意図的にゆがめられ、ひとり歩きし、まともな形では受け手には伝わらなかった。そうした悔しさがこの作品の根底にあるのではないか。
 「フェイクスピア」において「真実の言葉」は死者の言葉でもある。死者の言葉を現前化するイタコは劇作家のメタファー(隠喩)なのだろう。劇中で白石加代子が演じるイタコ見習いは野田秀樹が演じるシェイクスピアと何度も入れ替わる。この作品は劇作家についての物語でもある。劇作とは小説などとは違い「書かれた言葉」を「目には見えない音」に変換してみせる作業で、サン・テュグジュベリが「星の王子さま」で書いた「大切なものは目には見えない」の意味合いを野田は「大切なもの」(=真実)を「目に見えない」(=声)として表すのが演劇であると示してみせたわけだ。
 重層化された言葉が紡ぎだす言の葉の世界が野田秀樹の世界なのだとすれば「フェイクスピア」という作品が面白いのは幾重にも張り巡らされたその言葉の中核にあるのがノンフィクション(事実)だということだ。
 日本航空ジャンボ機墜落事故を野田が劇の素材に選んだのはこの事件の音声記録が最初に明らかになった時、「どーんといこうや」とか「これはだめかも分からんね」などの機長の音声記録の一部が切り取られて報道されたことで、機長の責任論が引き起こされ、遺族である機長の家族も攻撃の的にされるということが起きたからではないか。
 コロナによる公演自粛が相次ぐ中でNODAMAP公式サイトに3月1日付で「劇場閉鎖は演劇の死を意味しかねない」と一連の公演自粛に対する見直しを要望した意見を書いた。演劇公演は観客がいて初めて成立する芸術だから、劇場公演の中止は、考えうる限りの手を尽くした上での、最後の最後の苦渋の決断であるべきだ、と。これに対し「演劇だけを特別視している」との意見がネット上で出回り、「炎上」という見出しさえ付けられることになり、平田オリザらの発言とともに世間からの演劇への攻撃が強まったのだ。
 劇作家は直接自ら意見を表明するのではなく、むしろ「フェイク」(虚構)を駆使することでこそ逆説的に「真実」に迫ることができる。この作品で提示した主題はそこにあり、それこそが劇作家としての野田の矜持なのだろうと考えさせられた。 simokitazawa.hatenablog.com

*1:

*2:報道機関によりリークされた音声記録はネット上にも残り私たちも聴くことができるが、元データは非公開であり、遺族の公開請求にもかかわらず35年をへた現在も正式に公開はされていない。

スタプラのあーりん軍団が覇を競う。佐々木彩夏ソロコンサート「AYAKA NATION 2021 in Yokohama Arena」@神奈川県・横浜アリーナ (ニコニコ生放送アーカイブ配信)

佐々木彩夏ソロコンサート「AYAKA NATION 2021 in Yokohama Arena」@神奈川県・横浜アリーナ (ニコニコ生放送アーカイブ配信)

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今回は横浜アリーナ佐々木彩夏ソロコンの現場に出掛けることができた。そのうえで席のことや会場のモニターの映像についての不満を述べたら会場に来ることができなかったモノノフの顰蹙を買ったのだが、主としての不満は会場のモニターがあーりんのアップの画像だけを映し出し、一緒に出演していた後輩のアイドルたちはすべて映像画面では見切れてしまって誰が誰かも分からず、佐々木彩夏演出の重要な部分をしめる後輩アイドル(あーりん軍団)の群舞も交えたトータルでの場面演出を味わうことができなかったからだ。
本番2日後の「反省会」配信ではあーりん自らがそれぞれの楽曲の演出のかんどころを語ったが、各ブロック1曲だけを投票で選んで公開したため実際に映像をこの目で見て確かめたかった部分の多くを見ることはできず、それできょう公開になったアーカイブが一層楽しみになっていたのである。
そして、ついにアーカイブ配信で見たのだが、トータルでの満足度がダントツに凄い。ダンサー役の後輩アイドル(アメフラっシ、B.O.L.T.、CROWN POP)による高レベルのダンスアンサンブルにはミュージカルレビューのような楽しさを感じた。生の会場も楽しかったが、今回の「AYAKA NATION 2021 in Yokohama Arena」についてはトータルの演出が分かる映像を見て初めて佐々木彩夏演出の本当の凄さが見えてきた。
アメフラっシ、B.O.L.T.が参加してロックミュージカルのような盛り上がりを見せた前半のブロックが素晴らしい。「SPECIALIZER」は今期の石川柊太投手の登場曲。これはちょうど浪江女子発組合のメンバーで行ったが、優雅なJA浪江とは対極的な激しいダンスを伴うパフォーマンス。特にアメフラっシは楽曲自体ロック系やダンスミュージック系で複雑なダンスをともなうことも多いため、こういう群舞は得意ではあるが、振付らしい振付のないB.O.L.T.もここまで踊れるんだというのには驚かされた。
続く、「境界のペンデュラム」であーりんと一緒に踊った鈴木萌花内藤るなもいつものパフォーマンスと比べると別人のようなセクシーさも垣間見せる大人のダンスを披露した。
多彩なダンスを駆使しCROWN POPのメンバーと一緒に本格的なミュージカルのようなシーンを創作したのが後半ブロック。新曲の「A-rin Kingdom」などANNA先生の振付もクラポメンバーのダンサーとしてのポテンシャルの高さは驚くべき水準で、スターダストプラネットの未来を拓く新たな可能性を感じた。
ジャニーズ事務所は先輩が演出、それに後輩のアイドルがダンスや歌で参加するミュージカルショーをいくつか続けている*1が、今回は佐々木彩夏のソロコンサートという縛りがあったので、歌ったのはあーりんだけだったが、当然後輩のアイドルも歌は歌えるわけだから、将来はソロコンにとどまらずスターダストプラネットプロデュースのショーを佐々木彩夏の総合演出でできるのではないか。そんな可能性を感じた今回のソロコンであった*2

佐々木彩夏ソロコンサート『AYAKA NATION 2021 in Yokohama Arena』
2021年6月27日(日)
<セットリスト>
あーりんちゅあ
1.Grenade(ザクロ)Teddy Loyd
2.Early SUMMER!!! ◎
3.Sweet Wanderer
4.空で虹でも星でもない
5.SPECIALIZER
6.境界のペンデュラム ◎
7.サラバ、愛しき悲しみたちよ
8.Bunny Gone Bad
9.月色Chainon ◎
10.桃色空(ルビ:ピンクゾラ)
11.Memories, Stories
12.My Cherry Pie(小粋なチェリーパイ)
13.My Hamburger Boy(浮気なハンバーガーボーイ)
14.Girls Meeting
15.A-rin Kingdom ◎
<ENCORE>
16.あーりんは反抗期!
17.仕事しろ
18.ハッピー♡スイート♡バースデー!◎
19.あーりんはあーりん♡
20.だって あーりんなんだもーん☆

simokitazawa.hatenablog.com

*1:KinKi Kids堂本光一が主演を務めるミュージカル作品シリーズ『SHOCK』(ショック)が有名。2000年11月、『MILLENNIUM SHOCK』というタイトルで帝国劇場にて初演。以後同劇場で毎年公演が行われ、2005年からは『Endless SHOCK』として名前と内容を一新し、2012年以降は博多座、2013年以降は梅田芸術劇場でも上演されている。

*2:その前にどこかの段階で佐々木彩夏が演出を務めるももクロライブの実現が期待される。その場合、ダンスアンサンブルや出演者として後輩のアイドルを起用することもありではないか。佐々木彩夏演出のアメフラっシ、B.O.L.T.、CROWN POPの合同公演も見たいという気にさせられた。

『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村』第121夜「みんなで生誕祭!ももクロ全員集合」@フジテレビNEXT

『しおこうじ玉井詩織×坂崎幸之助のお台場フォーク村』第121夜「みんなで生誕祭!ももクロ全員集合」@フジテレビNEXT

フォーク村は3の倍数の月がももクロ登場回。だから、今月がその回となる*1
前半部分はももクロ曲とTHE ALFEE曲をどちらもこの番組のオリジナルアレンジで届けた。フォーク村では最初の2曲が玉井詩織が歌うオリジナルアレンジのTHE ALFEEと村長(坂崎幸之助)の歌うアコースティックギターによるももクロ曲の流れであり、1曲目(THE ALFEE)は宗本康兵、2曲目(ももクロ曲)は坂崎幸之助がそれぞれ番組向けにオリジナルの編曲(アレンジ)を行っている。今月の「冒険者たち」「全力少女」もそうした趣向だが、今回の仕掛けは3曲目以降は坂崎の歌ってきたアレンジでももクロが歌い、逆に玉井詩織が歌ってきたアレンジで坂崎幸之助が歌うというようにして、互いに歌うのは本家だが、アレンジは番組オリジナルとなる形に入れ替えたことだ。
自分のオリジナル曲でもまったく違うアレンジで歌うとかなり聴こえ方が違うのだが、実はこの時にはまだ分からないのだが、これが番組進行上は後半ゲストとして押尾コータローが出てくる部分への準備編のような形になっているのが面白かった。
 個人的にいいなと思ったのは「桃色空」と「Hanabi」。どちらも圧倒的に曲がいい。もっと頻繁にライブでやられてもいいのではないか。「Hanabi」はひさびさに聴いたし、「桃色空」も先日のあーりんソロコンでは歌われたが、ももクロとして歌うのはかなりひさびさではないか。「桃色空」は堂本剛の提供楽曲。以前からいつかは堂本剛の前でこの曲を披露したいというのがももクロのまだ実現していない願望だった。CS局で放送されているフォーク村にジャニーズ事務所のタレントを呼ぶのは難しいのは分かっているのだが、きくちPともつながりのある人だからいつかどこかでそれが実現するように尽力してほしいと思うが、いろいろ難しいんだろうな。
 後半のゲストがギタリストの押尾コータローだが、オリジナル曲「GOLD RUSH」を披露した後は押尾自身の演奏、アレンジによるももクロ楽曲が演奏された。演奏自体超絶技巧が凄いのだが、その演奏で歌うももクロが素晴らしいとしか言いようがない。とんでもなく凄いと思わせたのが「マホロバケーション」。普通に歌ってもかなりの難曲だが、押尾コータローのアレンジはそれをさらに輪をかけて難曲にしており、最初は少しとまどいが隠せないのがとタイミングの微妙な狂いにも見えるのだが、歌っているうちに次第にももクロも次第に嬉しくなってくるのが分かる。歌も仕草もノリノリに乗ってきて、最後は一体感を感じさせる圧倒的なパフォーマンスになった。

ダウンタウンしおこうじギタリスツ
押尾コータロー
坂崎幸之助/佐藤大
ダウンタウンしおこうじバンド

セットリスト
M01:冒険者たち (玉井詩織THE ALFEE)
M02:全力少女 (村長&ももクロももクロ)
M03:ワニとシャンプー (ももクロももクロ)
M04:桃色空 (ももクロももクロ)
M05:Flower Revolution (村長/THE ALFEE)
M06:Hanabi (ももクロももクロ)
M07:水曜の朝午前3時 (村長&玉井詩織THE ALFEE)
M08:Link Link (ももクロももクロ)
M09:メリーアン (村長/THE ALFEE)
M10:同じ月を見てる (村長&ももクロ/公式曲)
M11:GOLD RUSH (押尾コータロー押尾コータロー)
M12:サラバ、愛しき悲しみたちよ (ももクロ押尾コータローももクロ)
M13:白い風 (ももクロ&村長&押尾コータローももクロ)
M14:マホロバケーション (ももクロ&村長&押尾コータローももクロ)
M15:優しい風 (しおこうじ&押尾コータロー/公式曲)
M16:歌はどこへ行ったの (オールキャスト/公式曲)

*1:先月は玉井詩織がコロナから回復直後でサポートのためもあり、ほかのももクロメンバーが急きょ参加した。

佐々木彩夏ソロコンサートオンライン反省会「AYAKA NATION 2021 in Yokohama Arena」@ニコニコ生放送

佐々木彩夏ソロコンサートオンライン反省会「AYAKA NATION 2021 in Yokohama Arena」@ニコニコ生放送

佐々木彩夏がセットリストをもとに選曲やパフォーマンスの意図を語っていくという番組。アーカイブが2日後からあるが、ますます楽しみになった。