下北沢通信

中西理の下北沢通信

現代演劇やコンテンポラリーダンス、アイドル、ミステリなど様々な文化的事象を批評するサイト。ブログの読者募集中。上記についての原稿執筆引き受けます。転載依頼も大歓迎。simokita123@gmail.comに連絡お願いします。

DULL-COLORED POP 福島三部作 第一部『1961年:夜に昇る太陽』 | Fukushima Trilogy #1 “1961: Midnight Sunrise”@Live video streaming

DULL-COLORED POP 福島三部作 第一部『1961年:夜に昇る太陽』 | Fukushima Trilogy #1 “1961: Midnight Sunrise”@Live video streaming

昨年の岸田國士戯曲賞を受賞した谷賢一の「福島三部作」の受賞後初めての再演となった。今回は劇場での上演に加えて、配信による同時視聴も行われ、それを見ることができた。
この作品の上演自体は実は一昨年に「福島三部作」の3部連続上演が行われた時にはスケジュールの関係で見ることができず、その前の年の「第一部単独上演」以来の観劇となった。
谷賢一の「福島三部作」は東日本大震災の際に原発事故を引き起こした福島原子力発電所がどのように誘致、建設されて大惨事を引き起こすに至ったのかという歴史を全三部という長尺の舞台として上演するものだが、そのうち第一部は原発の立地が最初に決まった1961年の出来事が描かれている。

DULL-COLORED POP の「1961年:夜に昇る太陽」は全体を3部構成とし、福島と原発の誘致決定から3・11での原発事故発生までの50年の歴史を振り返ることで福島第一原子力発電所の事故がなぜ起こったのかに切り込んでいく。
 第1部は原発双葉町が誘致することになる経緯が原発用地の土地を東京電力に売却することになる家の兄弟たちの目によって語られる。
 主要登場人物には実はそれぞれ実在のモデルがある。物語の核となる穂積家の3兄弟は長男は谷賢一自らの父が、次男・忠は故岩本忠夫元双葉町長、3男も実在するあるジャーナリストがそれぞれモデルだという。
 県は反対運動を恐れてか、地元に十分に説明をすることなしに秘密裏に原発立地調査を進める。原発立地についての是非の論議が町民たちの総意のコンセンサスを得るということではなくて、「絶対に安全だ」との一方的な説明だけで話をすすめ、この芝居ではただひとり技術的な側面から疑問を呈することのできる東大で物理学を学ぶ長男の質問には直接答えることをしないで、売却を躊躇するなら、他にも適地はあるなどと圧力をかけ、即断即決を迫る。ひとつの家族とするなどいくぶん実際の話をデフォルメしている点はあるけれど、当時の福島県そして双葉町が置かれた絶望的な状況と大方このような経緯で、実際の現実的なリスクなどは論議されることなく、原発の誘致が決まっていったのだろうなということは一定以上の説得力があった。

 この三部作が興味深いのは連作でありながら、演劇としてはそれぞれの作品がまったく異なる様式で上演されていることで、第一部は東北の寒村を舞台にそこに東京の大学に在学していた長男がひさしぶりに帰郷したところから、物語は始められるが、帰ってきた村(のちの双葉町)の子供らが人形劇により演じられるように全体として日本昔ばなしめいたトーンで表現されている。「福島三部作」は各部がそれぞれ双葉郡に住む三人兄弟それぞれの物語となっていて、下の二人が地元に残ったのに対して、長男だけが東京の大学に進学していたこともあり、故郷を出て(を捨てて)東京で暮らすことになる。境遇はまったく異なるが、東京に出て劇作家になり、そこで震災・原発事故を迎えた谷賢一の自身の居た堪れなさをもっとも仮託した人物がこの長兄であると思う。

 作・演出:谷賢一[DULL-COLORED POP]
 美術:土岐研一 照明:松本大介 音響:佐藤こうじ[Sugar Sound]
 衣裳:友好まり子 映像:松渾延拓 舞台監督:竹井祐樹[StageDoctor Co.Ltd]
 演出助手:美波利奈 制作:小野塚央
 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2021

 出演:大原研二、佐藤千夏、ホリュウキ、宮地洸成[マチルダアパルトマン]
 [以上DULL-COLORED POP]、有田あん[劇団鹿殺し]、井上裕朗、オレノグラフィティ、
 柴田美波[文学座]、都築香弥子、春名風花、平吹敦史、山本亘
 ワタナペケイスケ[アマヤドリ]

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山下残「何だかすべて忘れられないね」@TPAMオンライン

山下残「何だかすべて忘れられないね」@TPAMオンライン

山下残による山下残らしい作品。オンライン配信というのでクリックして入ったアドレスに山下残のインタビューがあり、それは山下のTPAM参加後の海外でのアーティスト活動について話したインタビューで、ピチェ・クランチャンやマレーシアで国会議員になったファミーらとの出会いも語られており、かなり興味深いものであった。それを一応読んだ後、本編のパフォーマンス映像はどこにあるかとそのサイト周辺を30~40分探しまわったが見つからない。
このサイトおかしくないかと疲れ果てて再び下記の場所に戻って作品解説を斜め読みしているとこんな風に書いてある。

『何だかすべて忘れられないね』は、1995年の第1回目のTPAMにブース出展した当時から2020年の現在まで山下が展開した活動、出会った人々、見たもの、晒された視線、経験した変化について、事実のみを語る虚偽のインタビュー。パフォーマンスとしてTPAM2021のウェブサイトで「上演」され、会期終了と同時に消滅します。

つまり、これは概念芸術(コンセプトアート)でこのインタビュー自体がパフォーマンス作品だと山下残は言い張っているわけだ(笑い)。以前、伊藤キムが主演したひとり芝居をダンス作品だと言い張っていて、「これは演劇なんじゃないか」と本人に問いただすと「私にとってはこれがダンスだ」という趣旨の答えが返ってきて、本人が「これはダンスだ」といえばそれがダンスなのかと当惑したことがあったが、今回の作品はまさしくその延長線上にあるともいえるかもしれない。
ちなみにプログラム紹介の欄に「上演時間約 30〜40分」とあるのだが、私が映像作品を探してweb上を彷徨っていた時間がまさしくこのとおりの時間なのであった。山下残恐るべし。
www.tpam.or.jp

後期クイーン論に向けた序章として(2)エラリイ・クイーン「フォックス家の殺人」(ハヤカワ・ミステリ文庫)

後期クイーン論に向けた序章として(2) エラリイ・クイーン「フォックス家の殺人」(ハヤカワ・ミステリ文庫)

今でこそ演劇やダンスの批評を中心的なフィールドとしているが、実は大学時代に京大ミステリ研に所属していたこともあり、当初批評的な分析の主たる対象となっていたのはミステリ小説についての考察であった。アガサ・クリスティーについてはすでに大学在学中に論考を機関誌「蒼鴉城」に書き、昨年の非常事態宣言のころにこのブログにも論考*1を再録。さらにクリスティーに続く英国ミステリの潮流としてルース・レンデルやコリン・デクスターの作品分析をホワットダニットという切り口*2*3*4から試みてみた。
 その試みはそれなりに興味深いことだったが、実は大学を卒業後、演劇やダンスなど次の批評対象に出会うまでに批評的思考の対象としてきたのはエラリイ・クイーンの作品群であった。しかも、当時考察の中心としていたのは国名シリーズやレーン4部作など当時クイーンの代表的作品と考えられていた初期の傑作群ではなく、ライツヴィルものなどとして知られた中期以降の作品なのであった。クイーンについては大学の後輩でミステリ作家である法月綸太郎が「初期クイーン論」で論じており「ゲーデル問題」などの問題群が現在ではクイーンを論じる場合の基本となっているようだ。法月はおそらく、その後当然のように後期クイーンについても論じているはずだが、当時私の考えていたことのあらましは以前このブログ*5*6にも書いた。このことの続きはどこかで考える必要があるだろうと考えてはいたのだが、このほどいくつかのクイーン作品が新訳で再び文庫化されるということになったこともあり、この機会にクイーンの作品について再び考えてみることにした。
 最初に読んでみたのは「フォックス家の殺人」である。実はこの作品については初読時の印象が非常に薄くて「災厄の町」「十日間の不思議」などと比べるともの足りない印象が強い。ただ、現時点で再読してみるとこれはクリスティー後期作品によく見られる過去にあった事件の真相が現在まで尾を引いてそれが現在進行形の出来事に影を落とすという「過去型」のホワットダニットと非常に似たプロットを持つ作品であるということに改めて気が付いた。というか、クリスティーがこの種のプロットを多用したのは1960年代以降であるため、ほぼ同時期に「五匹の子豚」(1943年)そして当時は未発表だが「スリーピング・マーダー」はあるけれども「フォックス家の殺人」(1945年)はこうしたプロットのかなり初期の先例だったということができるだろう。
 実はここまで書いてきて気が付いたのだが、「五匹の子豚」について書いたクリスティー論の当該部分*7を参照してみてほしい。エラリイ・クイーンが2年ほど先んじて発表された「五匹の子豚」を意識してこの「フォックス家の殺人」を書いたことはほぼ確実ではないかと思う。過去に起きた殺人事件によりその子孫の男女が危機に陥るという筋立てが同じというだけでなく、表題が「五匹の子豚」「フォックス家の殺人」とそれぞれ豚とキツネとを動物をメタファーとしていること、本文の章立てがそれぞれ豚(子豚)とキツネにちなんだものとして構成されている*8などとかなり明確な一致点があるからだ。実はクイーンとクリスティーは過去にいくつかのアイデアが一致してしまい、先に書かれたことでそのアイデアを断念せざるを得なかったということも明らかにされているが、この両作品について誰か批評家が何らかの指摘を誰かがしたという事例はいままで聞いたことがない*9のだが、これは偶然ではなく、クリスティーのアイデアに後から作品を書いたクイーンが意図的に挑戦したのではないかと思う。
ネタバレ注意










かつて「悪の起源」について分析した論考*10でクイーン作品の特徴についてこんな風に書いたことがある。

初期の国名シリーズなどでは「読者への挑戦状」などでフェアプレーなどを重視する純粋論理的な推理小説を標榜していたかに見えるクイーンが実は本来三段論法のような論理的な整合性(犯人当て小説には重要)ではなくて、そうではないレトリックに対する強い嗜好性をもっていて、むしろミステリ作家としてのクイーンの本領はそちらにあるのだということが、初期には隠蔽されていたのが次第に露わになってくる。その代表的な作品のひとつが「悪の起源」だということが今これを読み直してみるとよく分かるからだ

 似たようなことは法月綸太郎の評論集についての文章でこのようにも記した。

クイーンといえば普通はレーン4部作や国名シリーズなど初期の作品群が代表作とされ、挑戦状をつけたりしてフェアプレーを重視した純粋パズラーの作家と見なされているのだけれど、私はこの人のミステリ作家としての本領は「盤面の敵」「十日間の不思議」「第八の日」「悪の起源」といった中期以降の作品群にあると考えている。それはこうした作品群においてまだ前期の作品においては露わな形では出てこなかったこの人の論理の特異性が極限的な形で露呈してくるからである。

 「フォックス家の殺人」はクイーンの作品の中では国名シリーズのような遊戯性よりは社会的な問題への気配りなどリアリティーを重視したとされているライツヴィルシリーズの第2作でもあり、そうした後期作品とは一線を画すものと思われてきたのかもしれない。確かにこの作品においての中心人物のデイヴィー・フォックスが太平洋戦争で戦功を挙げた帰還兵でありながら、クイーンの当時はまだ言葉自体がなかったかもしれないが、現代でいえばPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)に当たるような心的障害を患った人物であり、そのことが物語の根幹とかかわってくることにはそれが当時の米国で大きな社会問題となっていたこととおそらく深い関係があるのだと思う。
 とはいえ、物語全体の仕立てはいかにもクイーンらしいものだ。まず、注目していきたいのは「フォックス家の殺人」という表題である。和訳ではそこまでは感じ散れないが英語の原題は「The Murderer Is a Fox」であり、直訳すれば「殺人者はキツネ」だということになる。キツネには動物のキツネ、そしてフォックス家の人間というだけでなく「狡猾な人」という意味もあると文庫解説で飯城勇三氏が指摘しているが、それこそこの作品には全編にFOX(キツネ)のイメージが隠喩として散りばめられ、この世界を覆いつくしている。
 といえどもその解決にも類似点がかなりあると個人的には思うのだが、解決にいたるそれぞれの探偵の推理はかなり趣きが異なる。「フォックス家の殺人」はワイングラスに入れられたジギタリスによる毒殺事件を題材として扱っており、クイーンは誰がそこに毒を混入するチャンスがあったのかを巡る推理を通じて、可能性の消去により、犯行の可能性を絞り込んでいく。その意味では作品中にメタファーを散りばめていると指摘したが、ミステリ小説としてのプロット自体はその複雑さにおいて若干の違いはあるのの国名シリーズなどにおける論理を踏襲しているともいえるかもしれない。
 これは構図の地と図を逆転させるような幕切れに賭けた感があるクリスティーの仕掛けとは異なるものでオーソドックスな作風とはいえなくもないが、探偵クイーンの手品のようにそれまで想定もしていなかった人物が突如姿を現すくだりなどはいかにもクイーンらしい鮮やかさである。
 とはいえ、最終的なこの作品の結末に賛同できるのかどうかは賛否両論が分かれるところだろう。それでも表題と結末が見事に呼応していくことに気が付いた時、衝撃を感じたのも事実だ。
 私がどちらかというとクリスティーの作風により共感を抱いているせいもあって、ともすればクリスティーの「五匹の子豚」の方に軍配を挙げたくなるところはあるが、「フォックス家の殺人」にも大きな魅力があり、本格ミステリファンは両書を比較して読み比べてみることもお勧めしたい。 


*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com

*4:simokitazawa.hatenablog.com

*5:simokitazawa.hatenablog.com

*6:simokitazawa.hatenablog.com

*7:simokitazawa.hatenablog.com

*8:各チャプターの表題が「キツネの愛」「キツネの手袋」「きつねとぶどう」「きつねの痕跡」などすべてキツネがらみのものになっている。

*9:ネット検索をしてみると複数の読者が両書の類似については気が付き、指摘しているようだ。

*10:simokitazawa.hatenablog.com

「AYAKARNIVAL2020」スペシャル映像付き再配信【アップアップガールズ(2) 、=LOVE、STU48、EMPiRE、カミングフレーバー、佐々木彩夏】

「AYAKARNIVAL2020」スペシャル映像付き再配信【アップアップガールズ(2) 、=LOVESTU48EMPiRE、カミングフレーバー、佐々木彩夏

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simokitazawa.hatenablog.com

オンライン型劇場“THEATRE for ALL”(シアター フォー オール)

オンライン型劇場“THEATRE for ALL”(シアター フォー オール)

 チェルフィッチュの運営などを手掛けることで知られる株式会社precogが舞台芸術、映像芸術、メディアアートなどを対象とする配信プラットフォーム「オンライン型劇場“THEATRE for ALL”(シアター フォー オール)」を開設。2月5日サービスをスタートさせた。コロナによる劇場や美術館などの施設が相次ぎ閉鎖、配信による作品提供の可能性がクローズアップされていくなかで、こうした試みはきわめて意味合いが大きいと思う。舞台芸術などの配信は現在様々なプラットフォームに分散して行われているのが現状であり、Youtubeに代表されるような敷居の低いものは課金の方法が難しく、配信の容量や映像のクオリティーに課題があり、一方、ぴあやイープラスなどチケットセンターのStreamingはおそらく小規模な公演にとっては敷居が高い。さらに現在はどちらもキュレーションの機能はなく、劇場に例えると貸し小屋的な機能にとどまっている。
 precogによる新しいプラットフォームはスタートはこれまでprecogと関係した集団が主体となり限定的であってもチェルフィッチュの海外活動などでつちかってきたノウハウを活用し日本語字幕、音声ガイド、手話通訳、多言語対応などを施した動画配信サービスとして国際的な展開の可能性というメリットがあり、そうしたことに興味の強いアーティストはこのプラットフォームを利用することも増えてきそうだ。


theatreforall.net
theatreforall.net

株式会社precogは、文化庁の受託事業としてオンライン型劇場“THEATRE for ALL”(シアター フォー オール)のプログラム配信を、
本日、2月5日(金)より開始いたします。

“THEATRE for ALL”は、日本で初めて演劇・ダンス・映画・メディア芸術を対象に、
日本語字幕、音声ガイド、手話通訳、多言語対応などを施した動画配信サービスで、
オリジナル作品を含む映像作品約30作品、ラーニングプログラム約30本を配信します。

サウンドロゴは、音楽家の蓮沼執太氏が担当。
映像作品『True Colors FASHION』中での最終作品(記録映像)音楽も担当し、
「この世界には、様々な生があります。いま存在している、これから誕生する多種多様な営みに対して、少しでも寄り添えるように制作させていただきました。」
とコメントを寄せていただきました。
サウンドロゴは公式サイト トップページよりご覧いただけます。
※True Colors FASHION:https://theatreforall.net/movie/true-colors-fashion/

新型コロナウイルスで外出困難となった方、障害や疾患がある方、子ども、母語が日本語以外の方、
また、芸術に対して「難解さ」がバリアとなり馴染んでこられなかった方などに対して、開かれた劇場を目指してまいります。
本日より、「THEATRE for ALL LAB」のコミュティーメンバー募集も開始いたします。
福祉もアートも、ビジネスも。変化していく時代に、様々な形でアクセシビリティを考えるきっかけをつくります。

<配信作品 第三弾ラインナップ>

【映画】三好大輔/川内有緒 ドキュメンタリー映画「白い鳥」

【オンライン授業】佐藤雅彦 オンライン授業「映像とコミュニケーションデザイン

【ドキュメンタリー】Dance Base Yokohama「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ〜視覚障害者と味わうダンス観賞篇〜」

【アニメーション】ウィスット ポンニミット「hesheit」

【舞台】ながめくらしつ ×Scale Laboratry「…の手触り〜こころの手触り〜」

【芸能】藤田善宏×益田市石見神楽神和会 青年部「SHOKI -鍾馗-」

横浜ダンスコレクション コンペティション(結果発表)@横浜赤レンガ倉庫の観劇を断念

横浜ダンスコレクション コンペティション(結果発表)@横浜赤レンガ倉庫の観劇を断念

 
横浜ダンスコレクションのコンペティションI・コンペティションIIが今年も開催される。このコンペは最新のコンテンポラリーダンスの動向を知ることができる貴重な機会として毎年見に出かけて、参加作品への自分なりの寸評を書いてきたのだが、今年はコロナ禍の緊急事態宣言の下での開催ということもあって、横浜までわざわざ出かけてみるということは残念ながら断念した。このところ毎年レポートを書いてきただけに厳しい決断となったが、私の場合、年齢のこともあり、糖尿病の持病持ちでもあるので家族にも反対されるし、やはり厳しい。しかし、再確認してみたら最終ノミネート作品(ファイナリスト)の8作品のうち海外からの3作品が映像参加になってしまっている。コロナ禍で仕方ないことではあるが、この状況で公正な審査を望むのはかなり厳しいかとも思う。おそらく中止よりはましという判断なのだろう。
 高橋萌登『幻モキュメント』がグランプリに当たる審査員賞を受賞したようだ。ここ数年私のダンスベストアクトの常連で才能に注目してきただけに喜ばしいことだと思う。それにしてもKENTARO!!率いるダンスカンパニー、東京ELECTROCKSTAIRSはKENTARO!!自身もかつてフランス大使館賞を受賞して、フランスでの長期研修を果たしたほか、かつて所属したAOKID、メンバーの横山彰乃、高橋萌登が昨年今年と連続で審査員賞を受賞したことで、演劇における青年団のような役割を果たしそうな感がある。受賞作品を映像でもいいから見たかった。
 今年の受賞者は以下の通りに決定した。

コンペティションI】
■審査員賞
■城崎国際アートセンター(KIAC)賞
 高橋萌登『幻モキュメント』

■若手振付家のための在日フランス大使館賞
 柴田美和*1Oblivion

■アーキタンツ・アーティスト・サポート賞
 nouses 『nous』

■奨励賞
 井田亜彩実『species-種-』



コンペティションII 新人振付家部門】
■最優秀新人賞
 女屋理音『I’m not a liar.』

■アーキタンツ・アーティスト・サポート賞
 小林 萌『ON AIR

■奨励賞
 竹内春香『AM0:01』
 島田幹大『tangle』

■ベストダンサー賞
 村上生馬『胎内回帰』


コンペティションI 審査員】
岡見さえ(舞踊評論家)
北村明子振付家、ダンサー、信州大学人文学部准教授)
近藤良平(コンドルズ主宰、振付家、ダンサー)
多田淳之介(演出家、東京デスロック主宰)
浜野文雄(新書館「ダンスマガジン」編集委員
サンソン・シルヴァン (在日フランス大使館文化担当官)
グザヴィエ・ぺルソン(アンスティチュ・フランセ横浜 館長)
エマール・クロニエ(スタジオ・オリヴィエ・サイヤール ディレクター、アートアドバイザー)

コンペティションII 審査員】
伊藤千枝子 (振付家・演出家・ダンサー)
加藤弓奈(急な坂スタジオ ディレクター)
ヴィヴィアン佐藤(美術家)
浜野文雄(新書館「ダンスマガジン」編集委員

坂田 守『Symbol』
髙 瑞貴『dodo』
ソン・ソンヒ(韓国)『Naturally』【映像】
フィトゥリー・アングライ(インドネシア)『Pauses/Interval』【映像】
柴田美和『Oblivion
nouses『nous』
福田智子『何処でもない、どこかで』
ファイルル・ザイヒド(マレーシア)『Draw-err 2.0』【映像】
井田亜彩実『species-種-』
高橋萌登『幻モキュメント』*2

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第65回岸田國士戯曲賞最終候補作品が決定

第65回岸田國士戯曲賞最終候補作品が決定

今年の岸田國士戯曲賞最終候補作品が決定した。以下が最終候補の8作品。

岩崎う大『君とならどんな夕暮れも怖くない』
長田育恵『ゲルニカ
小田尚稔『罪と愛』*1
金山寿甲『A-②活動の継続・再開のための公演』
小御門優一郎『それでも笑えれば』
内藤裕子『光射ス森』
根本宗子『もっとも大いなる愛へ』*2
横山拓也『The last night recipe』

実際に公演を見ているのは根本宗子『もっとも大いなる愛へ』、小田尚稔『罪と愛』の2本だけなので受賞者の予想は難しいが、この2つについてはいずれも私が2020年演劇ベストアクト*3に選んだ秀作でもあり、候補にノミネートされたことは喜ばしいと思っている。上記の2人は若手作家として才能を感じる2人でもあり、もし受賞すれば大きな飛躍のきっかけとなりそうなので、そういう意味では今年はこの2人の応援モードで臨みたい。個人的には根本宗子作品は本多劇場で無観客配信のみで上演された作品でもあり、「戯曲賞であるのでそういうことは関係ない」という意見も出てこようが、今年を象徴する作品という意味合いもあるのではないかとも思う。
 昨年のノミネート時点でのブログ*4ではいきなり「焦点はすでに鶴屋南北戯曲賞を受賞している谷賢一のダブル受賞がなるかどうかだが」とはったりをかまし、「同時受賞の可能性があるとすればこのところ毎年のように受賞が期待されている女性作家。市原佐都子あたりが有力か」などとも書き、予想はほぼ的中したが、今年はほとんどの作品を見てはいないうえに有力作品として挙げた2作品もそれぞれ谷賢一の「福島三部作」ほど突出しているとは思わないので、予想は難しいかもしれない。
 昨年のブログに「なぜノミネートされなかったのか」と書いた横山拓也が今年は入っていて、この作品は見てはいないが、実力があることは折り紙付きなので、満を持しての受賞もあるかもしれない。候補者常連となりつつある長田育恵ももうそろそろ受賞しても良いころかもしれない。*5
選考会は3月12日17:00から、東京・學士會館で行われる。選考委員は岩松了岡田利規ケラリーノ・サンドロヴィッチ野田秀樹平田オリザ矢内原美邦柳美里の7人。

*1:simokitazawa.hatenablog.com

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com

*4:simokitazawa.hatenablog.com

*5:ただ、これらの作品は観劇できてないので、これ以上の予想は難しい。

アメフラっシ「MICHI」「BAD GIRL」の楽曲分析記事

アメフラっシ「MICHI」「BAD GIRL」の楽曲分析記事


アメフラっシ ’MICHI’ Music Video

アメフラっシ ’BAD GIRL’ Music Video

アメフラっシ MICHI&BAD GIRL Music Video Making
 「偶像音楽 斯斯然然」というサイト*1の最新記事にアメフラっシ「MICHI」「BAD GIRL」の詳しい楽曲分析の記事が掲載された。実はこの2つの楽曲、とりわけ「BAD GIRL」についてはコメント欄に「韓流っぽい」「そうじゃない。洋楽的だ」などという論評が相次いで書かれた。私もこの時のコメントで特に「韓国アイドルの二番煎じ的で嫌だ」などの意見について納得ができず、どこが韓国アイドル風なのかについて意見を求めた。何人かの意見がツイッターなどで届いて私なりの評価はなんとなく定まったものの、音楽の専門家による分析が知りたかったところで、この記事が現れたのだった。
 この「偶像音楽 斯斯然然」というサイト実はアメフラっシの前曲「メタモルフォーズ」についても好意的な評価で詳細な分析を掲載しており、アメフラっシの楽曲を考察していくうえで非常に参考になる部分が多かった。その時の記事についてはこのブログの過去の記事でも紹介した*2。その時の筆者の評価では「メタモルフォーズ」を「見事なまでにEDMのお手本中のお手本のような楽曲」としており、それが脳裏にあったのでコメント欄などでこの新曲に寄せられていた韓流とかEDMという説明に飽き足らなかったのだ。その時考えたことはこちらに書いた*3のだが、その後、ツイッターなどでの情報交換で分かってきたのはK-POPは洋楽のフォーマットで楽曲を作っているから音楽的にはK-POPと洋楽には区別がないこと。だから、日本人にそれがK-POPと聞こえるのは英語のフォーマットで日本語の歌詞をつけていったものがK-POPなのだから、洋楽は通常英語で歌っているから違って聞こえるが両者に違いはないのではないこと。だから、K-POPか洋楽かという問い自体が意味がないものだということだ。
 そのあたりを「偶像音楽」はこのように説明している。

オリエンタルな旋律、語尾がキュッとしまるメロディ処理、フックのように入るラップ、ドロップ混じりのサビ……。楽曲の構成要素1つひとつから感じるものは、韓国からアメリカで昇華された世界的トレンドのポップミュージックの王道感である。日本でこの手のダンスチューンをやっているグループは珍しくはないが、多くもない。しかしながらこの「BAD GIRL」の特筆すべきところは、アイドルポップスとしての常套手段である“歌い上げ”要素をあえて入れないことで、より洋楽的な風格を放っている点である。
こうした海外トレンドを意識したアイドルソングをこれまで何曲も紹介してきたが、大抵の場合、落ちサビ、Cメロ、Dメロが存在している。サビらしいサビがない楽曲であるために、“J-POPらしいわかりやすさ=盛り上がり(歌い上げ)”を作るのである。だが、「BAD GIRL」にはそれが存在していない。

 つまり、「メタモルフォーズ」ではEDMを援用したアイドル楽曲ではなく、本格的なEDM楽曲としたように他のアイドルグループにも取り入れられた海外トレンドよりも「韓国からアメリカで昇華された世界的トレンドのポップミュージックの王道感」という評価がここではなされているのだ。
 一方でもう1曲の「MICHI」はこんな風に解説されている。

 どこかアメリカングラフティなオールディーズの雰囲気を嗅ぐわす良質ポップ。パッと聴いた時の耳馴染みのよさがあるのに、よく耳をすましてみればわかりやすいメロディとは言いがたい不思議な旋律。音の起伏が大きいわけではないし、淡々としていてサビでガツっといく構成というわけではないのも、今どきのポップスのトレンドを感じさせるところ。
小気味よいリズムにクールなようで精確かつ堅実的なボーカルが乗る。クラビネット風のサウンドになんだか古き良きアメリカを感じる一方で、ふと風が差し込んでくるようなストリングスにものすごくJ-POP、いや、なんだか懐かしいような歌謡ショー的な匂いを感じるのである。メロディもリズムも展開的には大きく変わっていないのに、この不思議な感覚はなんぞ? MVによる視覚効果も相まって、日米のレトロとモダンが共存するなんとも中毒性の高い楽曲である。

 つまり、両者はかなり音楽性の違う楽曲であり、「メタモルフォーズ」もまた違うジャンルの楽曲なのではないかということが分かってくるわけだ。ここまで来ると「MICHI」も「BAD GIRL」もどちらも確かにダンスミュージックではあるからEDMだと言っていた人もいたし、どちらも洋楽的な構成で歌唱にオートチューンが入るようなアレンジからK-POPの亜流だと断じている人もいたが、そんな単純なものではないのではないということが分かってくるわけだ。
 実はこの2曲を紹介したうえで、その後に著者は最近の世界的なポップミュージックの顕著なトレンドのひとつとして曲の短さを挙げる。そして、アメフラっシのこの2曲は曲の長さが3分20秒前後とその特徴を見事に踏襲している*4

・メロディが弱く、リズムも単調で印象に残りづらい
・物足りなさを感じる楽曲の長さ

→結果的に、何度もくり返し聴いてしまう

といった、一見マイナスに思えることを逆手に取ったプロダクトが流行っている。一聴めからインパクトを与えて音源を買ってもらう時代から、何度もくり返し聴きたくなるようなストリーミング特化の時代への表れ、ともいえるだろう。

 実はこの部分が一番盲点であった部分でもあった。というのはこういう特徴はそれこそももクロが流通させたといっても過言ではない1曲の中に何曲もの曲想が含まれるような複雑な構成、それゆえに非常に長い楽曲の尺とは正反対と言ってもよい。
 ももクロの妹分と呼ばれているが、最近のアメフラっシの戦略はこと楽曲面においてはももクロとは大きく違うということが浮かび上がってくるのである。

*1:「偶像音楽 斯斯然然」 popnroll.tv

*2:simokitazawa.hatenablog.com

*3:simokitazawa.hatenablog.com

*4:「メタモルフォーズ」は当てはまらず4分台。

「たこやきレインボー『LIVE in the HOUSE '20』発売記念 いっしょにみようSP」

たこやきレインボー『LIVE in the HOUSE '20』発売記念 いっしょにみようSP」


たこやきレインボー / Rainbow Plane~なにわのはにわ[Intro]

たこやきレインボー / にじースターダスト~どっとjpジャパーン! [1sabi]

たこやきレインボー / プレイバックス


TACOYAKI RAINBOW / “MANATSU no HOME PARTY the WORLD” Live Digest and Making
ニコニコ生放送の「たこやきレインボー『LIVE in the HOUSE '20』発売記念 いっしょにみようSP」を視聴。面白かった。以前、昨年の配信ライブ2本をセットで円盤化して、そこに佐々木彩夏の演出の裏話とかを載せたらどうかなどと書いたことがあったのだが、円盤化が実行され(受注生産で2月3日が申し込み締め切り)今回の「いっしょにみようS]Pはその宣伝番組的な性格もあるのだが、どちらもライブ映像をけっこうたっぷりと見せてくれた。
円盤の内容を手早く知りたいという人はYoutube(上記)に映像の一部が紹介されているので、そちらを参照してほしい。私はたこ虹のことをスターダストプラネットを代表する実力派アイドルグループだと認識しているのだが、スタダの他グループのファンの中には芸人的な面白グループ程度の認識の人もまだまだあるかもしれない。先日のミニライブの際にも同じようなことを書いたが、ニコニコ生放送の番組自体をタイムシフトでしばらくは見ることが可能なようなので、ぜひ見てみてほしい。
「いっしょにみようSP」はももクロのものもよく企画されているのだが、ももクロがこれをやると大抵の場合は途中でメンバーがライブとは関係ない話を始めてしまい、ライブのコメンタリーにはならないことが多い。番組自体は面白く楽しいので、それでまあいいのだが、たこ虹はトーク自体は面白く進めながらも、内容や裏話をきちんと紹介してトークを回しているのに感心させられた。たこ虹の最大の特徴はお互いのことをディスったりすることがなく、カワイイとかカッコイイとかポジティブなコメントをしているところ。そんなことをすれば下手をすると自画自賛的になり、自己満足のようないやらしさが出てきかねないが、なぜかそうはならないのがいいところだ。理由はよく分からないのだが、そういう風にならないように堀くるみらがうまく回していることもあるかもしれない。だが、おそらく最大の理由はメンバーのキャラ的なところにあるかもしれない。
例えば清井咲希はほかのメンバーから「かわいい」とか「やってるな」と言われることがよくあるのだが、「そんなことない」などというタイプの謙遜の否定をほとんどしない(笑い)。そして、実際にかわいいし、他のメンバーもそういう風に思っているから、褒められて、そんなことないと否定して起こるような意味のないやりとりはほとんどなく、自然に流れていくのだ。
 トークに関していえばスーパーな堀くるみがいるとは言え、裏回しが的確にできる春名真依が所用でいなかったのはかなりの戦力ダウンとなっていたとは思うのだが、その分、「家にいるTV」では口数があまり多くない彩木咲良が頑張ってコメントに参加していてファンとしては嬉しくなった。

【放送日時】2月2日(火)20:00~
【視聴URL】http://live.nicovideo.jp/watch/lv330223761

2020年にたこ虹が実施した2本の無観客生配信ライブ「CLUB RAINBOW '20」と「真夏のホームパーティー・ザ・ワールド」からのライブ映像(それぞれから45分程度ずつ)をメンバーと一緒に視聴するスペシャル番組です!

絶対お見逃しなく!!

チェルフィッチュ × Otagiri × 丹下紘希『アウトラップ(いかにも音楽的な語りのなかにもキラリと饒舌なシナリオ)』@配信

チェルフィッチュ × Otagiri × 丹下紘希『アウトラップ(いかにも音楽的な語りのなかにもキラリと饒舌なシナリオ)』@配信

2014年に東京都現代美術館で行われたラッパーOtagiriとチェルフィッチュ岡田利規の共同作品「ポストラップ」の続編的な作品。だがその時見た作品とはかなり趣きが違う。「ポストラップ」はあくまでOtagiriのラップに対して岡田がその言葉との関連により身体所作を振り付けていくというものであった。ラップ自体は普通にラップとして聴き取ることができるフロウに乗せたものだったと記憶している。
今回は「アウトラップ」と表題に付けたように楽曲、リリックともに確かに詩的に韻を踏んだ語りにはなっているから、ラップという風に言い切れば最近はラップの領域もかなり広がっていて、こういう前衛詩の朗読パフォーマンスにも聴こえるものもラップに含まれるのであればこれもラップだといえなくもないのではあるが、そうであっても聴いていての印象では「なんだろう。これは」と思ってしまうことも確かなのだ。
そして、さらにこの作品を以前見た作品と異なるものとしているのはこれが映像作品であるということだ。映像作家としてこの作品には丹下紘希が参加しているのだが、最近岡田は映像演劇のシリーズやKAATで企画したKAATプロデュース(岡田利規×内橋和久)「『未練の幽霊と怪物』の上演の幽霊」などコロナ禍の現況を踏まえて、映像や演劇を多角的に組み合わせ新たな表現領域への取り組みが目立っているが、この「アウトラップ」も映像配信を前提とした作品でそうした試みの一環といってもいいかもしれない。

振り付けられたラッパーの身体がアウトプットする鮮烈なイメージ。
リリック&トラックが画面の外へと溢れ出す驚愕の18分。

Otagiriと岡田利規の出会いは2014年。当時SOCCERBOYとして活動していたOtagiriに岡田が振り付けた「ポストラップ」は、ステレオタイプなラッパーの身ぶりを鮮やかに刷新してみせた。本作では、Otagiriの楽曲・リリックをもとに岡田がサブテキストやイメージ図を執筆し、そこから身体の動きを振り付け。言葉から膨らませたイメージによって身体を振り付けるチェルフィッチュの方法論によってOtagiriのパフォーマンスは更なる未知の領域へと深化を遂げる。
チェルフィッチュ初の映像作品ともなる本作では、映像ディレクションMr.ChildrenなどのMVや、社会問題と向き合い作品を手がけてきた映像作家・丹下紘希を迎え、未知の音楽体験を映像作品としてリアライズ。ほぼ無音の中で収録され息づかいも生々しいOtagiriのパフォーマンスにオーバーラップするのはPUNPEEなどのトラックを手がけるDJ MAYAKUによるスペシャルトラック。パフォーマンスに合わせて新たに制作されたトラックは、Otagiriの脳内で鳴る想像上の音楽が映像を通してオーディエンスに共有されるかのように響く。リリックから生まれた豊穣なイメージがOtagiriのパフォーマンスと丹下の映像を通してラップの「外」へと溢れ出す、短編映画のような唯一無二の音楽/映像体験。

予告編


特典付き・期間限定配信 
配信期間:2020年12月23日(水)18:00〜2021年1月31日(日)23:55好評につき延長決定! 
<延長配信期間〜2月14日(日)23:55>
Vimeoオンデマンドでの販売に先駆け、特典付きの期間限定配信視聴券を販売します。
『アウトラップ』本編映像に加え、本編映像と共により深く体験いただける、贅沢な特典となっております。
特典は2月14日までの限定公開となりますので、お見逃しなく!

詳細
価格:¥1,000(税込)
販売期間:2020年12月23日(水)18:00〜2021年2月14日(日)23:55
視聴方法:peatixにて視聴券を購入
チケット購入・イベントページ:https://outrap.peatix.com

特典
1. Otagiri ニューアルバムのディスカウントコード
『アウトラップ』使用楽曲を収録した、Otagiriのニューアルバム『The Radiant』(2021年2月11日発売予定)予約購入で、¥1,934→¥967の50%オフになるディスカウントコード
プレビュー・購入:https://otagiri.bandcamp.com

2. インタビュー映像
岡田利規・Otagiriへのインタビュー映像(聞き手:丹下紘希
6年の時を経て再会した二人は『アウトラップ』へどう挑んだのか、それぞれの思いが語られている。

3.クリエーション映像
ある日のクリエーション記録からの抜粋
演出家・岡田利規はラッパー・Otagiriにどのように振り付けをしたのか。想像によって振り付ける、その実際の創作プロセスを公開。

4.サブテキスト
振付を創るために、Otagiriの詞に対して岡田利規がテキストやイメージを書いたもの
リリック・戯曲、そのどれでもない『アウトラップ』独自のサブテキスト。

※本編は販売期間終了後もご覧いただけます。(特典は1月31日までの限定販売)
※本編は公開終了後Vimeoオンデマンドにて配信予定です。(¥1,000・特典なし)

クレジット
出演:Otagiri
振付:岡田利規
映像:丹下紘希
撮影監督:安田光
音楽:DJ MAYAKU
テクニカル・コーディネート/音響:黒澤佳朗
ガファー:仲宗根理、大城幹
撮影助手:上原孝心
ロゴデザイン:牧寿次郎
広報ライティング:山﨑健太
プロデューサー:黄木多美子
プロジェクトマネージャー:佐藤瞳
プロジェクトマネージャーアシスタント:遠藤七海

企画制作:株式会社precog
ディレクター:中村茜
シニア・プロデューサー:平岡久美
チーフ・アドミニストレーター:森田結香
広報:金森香、北堀あすみ、田井中未来

主催・製作:一般社団法人チェルフィッチュ
協力:G-shelter、株式会社アンドフィルムスタジオ沖縄営業所、有限会社シー・エム・シー
助成:芸術文化振興基金助成事業